妙寿寺客殿について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 06:09 UTC 版)
「妙寿寺 (世田谷区)」の記事における「妙寿寺客殿について」の解説
客殿は木造2階建(一部平屋)、入母屋造(一部切妻造、寄棟造)、瓦葺の近代和風住宅で延床面積は392.66平方メートルに及ぶ。構造は通用玄関や式台などがある平屋建ての東側部分と、書院造りで座敷や大広間を擁する2階建ての西側部分に分かれ、移転時に移築された建物は西側部分にあたる。この建物はもともと、麻布区飯倉狸穴町にあった蓮池藩鍋島家の住宅であった。1904年(明治37年)、当主鍋島直柔子爵は、結婚を控えた嫡男直和(1884年 - 1943年)のためにこの住宅を造った。棟札から建築着手は、同年の12月20日と判明している。 鍋島家はこの住宅を昭和2年(1927年)に妙寿寺に譲渡し、さらに翌年には飯倉狸穴町の土地もソビエト大使館(当時)に売却した。棟札には「昭和2年12月11日上棟」との記述がある。堂宇を失った妙寿寺に移築用の建物として鍋島家の住宅を仲介したのは、檀家の1人であった建築家で東京帝国大学教授の内田祥三(後に同大学の総長を務めた)とされるが、建物の詳細については長い間「鍋島様のお屋敷」とのみ伝えられていたという。 妙寿寺の増築に伴って客殿の改修の話が出たため、文化財としての指定が検討されることとなり、世田谷区が調査にあたった。その結果、蓮池藩鍋島家の住宅だったことが判明し、同家の子孫とも連絡が取れた。子孫は幼少期を過ごした住宅が残っていたことに驚き、さらに所蔵の写真からも客殿が鍋島家の住宅であったことの確認が取れた。妙寿寺の住職は「何十年も経て、お屋敷を通じ、鍋島家のご子孫の方にお会いすることができた」と、この縁に感謝していた。客殿の改修は、建築家の内田祥哉(内田祥三の次男)などが担当した。 客殿の柱には基本的に日本ツガが使われ、外壁は下見板張り、屋根は瓦葺で2階建て部分は起りのある入母屋造、式台のある平屋部分は反りを持つ入母屋造である。内玄関部分は、切妻造となっている。内部は書院造の意匠で質実にまとめられている。2階大広間(24畳)の東側に、続き間として12畳の次の間が配され、この2つの間を囲んで縁が廻らされ、腰高の高欄手摺がつけられている。2つの間は両方とも天井が高く、イスとテーブルを使った洋風の生活様式にも対応できるようにとの意図がうかがえる。妙寿寺客殿は、2008年(平成20年)12月25日に世田谷区指定有形文化財(建造物)となった。なお、客殿の内部は通常非公開となっている。
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