妙心寺と隠棲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:39 UTC 版)
慶長11年(1606年)、嗣養子・津田正重が死去すると、滝川一益がその子・九天宗瑞を開祖として起こした「暘谷庵」(京都妙心寺)を再興し「暘谷院」として、津田家の菩提寺とした。慶長19年(1614年)大坂の陣に従軍している。元和2年(1616年)に剃髪、京都に隱棲し興庵と号した。寛永12年(1635年)に死去。享年90。法名は長興院殿光岩道景大居士。 この時、前述の暘谷院は、津田秀政の号名にちなんで院号を「長興院」と改めている。長興院は、後に九天宗瑞と慈徳院が織田信忠の菩提所として開創した「大雲院」を併合した。
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