大宮 - 新潟間の建設・開業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:45 UTC 版)
「上越新幹線」の記事における「大宮 - 新潟間の建設・開業」の解説
1971年(昭和46年)10月12日に上越新幹線 大宮 - 新潟間の工事実施計画(その1)の認可申請が行われ、14日に認可、12月に上越新幹線の工事に着手した。工事実施計画その1において、「東北新幹線のターミナルを東京駅、上越新幹線のターミナルを新宿駅に設け、この両ターミナルより大宮駅に至る路線を建設」とされ、また「線路容量、ターミナル容量は十分であるので」「東京(新宿)・大宮間の線路の建設については、別途工事実施計画を提出する」こととされ、現在に至っている。開業当初は最高速度210 km/h、12両編成の計画であるが、最高速度260 km/h、大きな手戻りなく16両編成に対応できる建設基準であった。なお将来的な案として、成田新幹線を延伸させ新宿駅で上越新幹線と接続し、成田 - 新宿 - 上越方面の直通運転を行うことも検討されていたが、成田新幹線の建設中止により幻となっている。 1973年4月26日から、東京都北区と埼玉県戸田市・与野市・浦和市(与野市と浦和市は現・さいたま市)などで非常に大規模な反対運動が発生している。工事地内への見張り櫓の建設、居座り行動、デモ行進、国鉄説明会打ち切りなどが実施され、東北・上越新幹線の騒音対策や埼京線の快速停車駅数など地元の要望が実現化するきっかけとなった。この一連の反対運動を「東北・上越新幹線反対運動」という。詳しくは該当ページ及び埼京線#当時の沿線住民の反対運動を参照。 認可時点での完成目標は1976(昭和51)年度であったが、オイルショック後の経済悪化や国鉄の経営悪化などにより、1977年(昭和52年)には完成目標が1980(昭和55)年度に、1981年(昭和56年)には完成目標が1986(昭和61)年度に繰り下げられた。 1979年3月20日には、建設工事中だった大清水トンネルの保登野沢工区(県境付近から群馬県寄り約5キロ付近)で火災が起き、16名の死者を出した(この入口は「保登野沢斜抗」として点検等に使用されており、隣接して殉職の碑が建立されている)。そして、中山トンネルでは建設中に2回の異常出水事故が発生するなど難工事となり、開業の遅延に影響した。 1980年(昭和55年)11月以降、先行して長岡駅 - 新潟車両基地での実車走行試験や雪対策試験が行われた。同年12月には東北・上越両新幹線の開業を1982年(昭和57年)春とし、仮の始終着駅を大宮駅とすること。大宮駅 - 上野駅間の開業を1984(昭和59)年度とし、東京駅 - 上野駅間についても引き続いて完成に努力することが発表された。翌1981年(昭和56年)12月には越後湯沢駅 - 長岡駅間でも実車走行試験や雪対策試験が行われ、難航していた中山トンネルが貫通した。 この結果、東北新幹線 大宮駅 - 盛岡駅間の開業から5か月遅れた、1982年(昭和57年)11月15日に開業を迎えた。
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