大井川鉄道への譲渡
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「北陸鉄道6000系電車」の記事における「大井川鉄道への譲渡」の解説
入線に際して、北陸鉄道加南線は直流600V、大井川鉄道は直流1,500Vと架線電圧が異なっていたため、本系列は暫定的に電装解除されてトレーラーとなり、赤石山脈にちなむ「あかいし」と愛称を改め、古風な設計のモハ305に牽引される形で運用を開始した。大井川鉄道入線に際し、同社の形式称号付与ルールに従ってクモハ6000形はモハ6000形に改称されていた。 しかし、本形式の電装品は600V専用設計で1,500Vへの昇圧を考慮しておらず、また台車構造の関係で吊り掛け式主電動機の装架も困難であったことなどから昇圧工事は断念された。結果モハ6001は1974年(昭和49年)4月2日付で正式に制御車化されてクハ6050形に編入され、クハ6052へ改番された。また、1977年(昭和52年)にはモハ305が老朽化で廃車されたことに伴い、編成を組む電動車をモハ1906(元小田急1900形デハ1906)と差し替え、廃車までこれと連結した3両編成で運用された。 もっとも、牽引車のモハと本形式とを比較した場合、設備格差があまりにも大きいことからモハが客扱いをする機会はほとんどなく、2両編成相当として運用されたが、本形式は前面が非貫通であるためこの構成ではワンマン運転は事実上不可能であり、1984年(昭和59年)12月より大井川鉄道大井川本線のワンマン化実施後は予備車扱いとならざるを得なかった。 1994年(平成6年)の南海21000系の第1編成導入に伴って本形式は運用から完全に離脱。その後は大代川側線に留置されたのち、モハ1906ともども1996年3月30日付で廃車・解体処分された。
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大井川鉄道への譲渡
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「小田急3000形電車 (初代)」の記事における「大井川鉄道への譲渡」の解説
新金谷駅に留置されているSE車 大井川を渡るSE車 その後、LSE車の増備が進んだことから1983年3月に3001×5が廃車された。廃車された3001×5は動態保存車両として大井川鉄道(当時)に譲渡されることになった。 1983年4月15日付で大井川鉄道の車両として竣工、電動車の記号が「デハ」から「モハ」に改められた以外はほぼそのままの状態で、1983年8月よりロマンス急行「おおいがわ」として運行を開始した。車内では緑茶のサービスも行われた が、蒸気機関車牽引列車の「かわね路号」ほどの集客ができず、1987年7月のダイヤ改正以降は運用から外れて休車となった。その後まったく利用されないまま、1992年3月に廃車となり、1993年4月に解体された。
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