多難な晩年とは? わかりやすく解説

多難な晩年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 00:54 UTC 版)

勝新太郎」の記事における「多難な晩年」の解説

1978年5月10日マネージャー弟子俳優酒井修が、阿片アヘン所持逮捕。勝はアヘン26グラム当時末端価格260万円)と吸煙器を処分するよう頼んだ疑い書類送検される。5月26日釈明会見では「イラン貴族から贈られ社長室置いていたが、芸能人大麻事件相次いだので処分依頼しただけ」と東京帝国ホテル記者会見語った1989年長年沈黙破り、自らの製作・監督・脚本主演により『座頭市』完成させたが、長男雄大この頃本名俳優デビューした)が殺陣撮影中、斬られ役役者誤って真剣で斬りつけ死亡させてしまう。結局これが勝製作の最後映画となった。勝の出演作品としては1990年黒木和雄監督の『浪人街』が最後となり、以後活躍の場舞台移し演出主演務める。 1990年1月、勝はアメリカ合衆国ハワイ州ホノルル国際空港下着マリファナとコカインを入れていたとして現行犯逮捕される。麻薬下着入れていた理由について「気付いた入っていた」と述べ逮捕後の記者会見では「今後同様の事件起こさないよう、もうパンツはかないようにする」「なぜ、私どもの手にコカインがあったのか知りたい。」ととぼけ通し結局誰か薬物受け取ったかについて、最後まで口を割ることはなかった。帰国した翌年日本でも麻薬及び向精神薬取締法違反容疑逮捕され懲役2年6か月執行猶予4年有罪判決を受ける裁判では「傍聴者」を「観客」と呼び、客を楽しませる台本まで考えてから出廷したといわれている。 1996年7月下咽頭癌発病手術はせず、抗癌剤放射線治療行なった入院中も外出繰り返して寿司や酒を楽しみ、平然と煙草ふかした。約4か月後の記者会見でも「煙草はやめたと言いながら堂々と喫煙する様を見せた。しかし実際に療養中禁煙し会見での喫煙パフォーマンスだった(煙を肺まで吸い込まず口元ふかしているだけ)、と中村玉緒鴈龍は後に振り返っている。 晩年は、トライデントシュガーレスガムのCMにも出演し、死の前年である1996年4月23日には『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の「テレフォンショッキング」にも出演した最後の舞台大阪新歌舞伎座中村玉緒夫婦役を演じた夫婦善哉』。 1997年6月21日午前5時54分、入院先の千葉県柏市国立がんセンター東病院において下咽頭癌死去65歳没。

※この「多難な晩年」の解説は、「勝新太郎」の解説の一部です。
「多難な晩年」を含む「勝新太郎」の記事については、「勝新太郎」の概要を参照ください。

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