多難な晩年
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1978年5月10日、マネージャーと弟子で俳優の酒井修が、阿片(アヘン)所持で逮捕。勝はアヘン26グラム(当時の末端価格で260万円)と吸煙器を処分するよう頼んだ疑いで書類送検される。5月26日の釈明会見では「イランの貴族から贈られ、社長室に置いていたが、芸能人の大麻事件が相次いだので処分を依頼しただけ」と東京帝国ホテルの記者会見で語った。 1989年に長年の沈黙を破り、自らの製作・監督・脚本・主演により『座頭市』を完成させたが、長男・雄大(この頃、本名で俳優デビューした)が殺陣の撮影中、斬られ役の役者を誤って真剣で斬りつけ死亡させてしまう。結局これが勝製作の最後の映画となった。勝の出演作品としては1990年、黒木和雄監督の『浪人街』が最後となり、以後、活躍の場を舞台に移し、演出・主演を務める。 1990年1月、勝はアメリカ合衆国ハワイ州のホノルル国際空港で下着にマリファナとコカインを入れていたとして現行犯逮捕される。麻薬を下着に入れていた理由について「気付いたら入っていた」と述べ、逮捕後の記者会見では「今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」「なぜ、私どもの手にコカインがあったのか知りたい。」ととぼけ通し、結局、誰から薬物を受け取ったかについて、最後まで口を割ることはなかった。帰国した翌年に日本でも麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕され、懲役2年6か月執行猶予4年の有罪判決を受ける。裁判では「傍聴者」を「観客」と呼び、客を楽しませる台本まで考えてから出廷したといわれている。 1996年7月に下咽頭癌を発病。手術はせず、抗癌剤と放射線の治療を行なった。入院中も外出を繰り返して寿司や酒を楽しみ、平然と煙草をふかした。約4か月後の記者会見でも「煙草はやめた」と言いながら堂々と喫煙する様を見せた。しかし実際には療養中は禁煙し、会見での喫煙はパフォーマンスだった(煙を肺まで吸い込まず、口元でふかしているだけ)、と中村玉緒や鴈龍は後に振り返っている。 晩年は、トライデントシュガーレスガムのCMにも出演し、死の前年である1996年4月23日には『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の「テレフォンショッキング」にも出演した。最後の舞台は大阪新歌舞伎座で中村玉緒と夫婦役を演じた『夫婦善哉』。 1997年6月21日午前5時54分、入院先の千葉県柏市の国立がんセンター東病院において下咽頭癌で死去。65歳没。
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