執政官選出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:46 UTC 版)
「スキピオ・アエミリアヌス」の記事における「執政官選出」の解説
帰国した彼はアエディリス(按察官)の候補者だったが、人々は彼を執政官に選出し、元老院は(担当地を決める)くじ引きをせず、アフリカを担当させたという。これについて、選出されるにはプロフェッシオ(立候補宣言)が必要なはずだと主張する学者もいるが、恐らく義務ではなく、候補者でなくともケントゥリア(執政官選挙はケントゥリア民会で行われ、各ケントゥリアが単位となる)が投票した前例があり、恐らく小スキピオも、立候補しないままに、蓋を開けてみれば過半数の票を集めて選出されたと考えられる。大スキピオは24才でインペリウム(指揮権)を与えられており、彼の伝説も意識されていただろう。結局元老院は護民官に依頼し、プレブス民会でこの年だけ、政務官の年齢制限を定めたウィッリウス法(英語版)を停止する決議を取らせた。 紀元前147年、ガイウス・リウィウス・ドルススと共に執政官に選出されると、ルキウス・ホスティリウス・マンキヌスが封鎖していたカルタゴへ遠征した。海上封鎖を強化したが、カルタゴ側も新しい水路を作って艦隊を出撃させ、カルタゴ港海戦が起ったが勝利し、またネフェリスの戦い (紀元前147年)(英語版)でもカルタゴの将軍ハスドルバル (ボイオータルケス)(英語版)に勝利した。 翌紀元前146年、カルタゴへの攻撃を継続し、全長34kmとも言われる防壁を破って陥落させた。戦利品の多くはカルタゴがシキリアから奪ったものであったため、元の持ち主に返還されたという。ハスドルバルは降伏したが、彼に降伏を勧めていた妻は二人の子と共に炎の中に身を投げている。奪われたものを取り戻しに来るようにシキリアの都市に手紙を送ったことは、彼の優しさを表すエピソードとして伝わっている。また、マシニッサの縁の者が奴隷として売られているのを知った小スキピオは、彼にきちんとした身なりを整えさせて故郷へ送り返したという。 この戦いでは同行していたポリュビオスも小スキピオに助言している。ハスドルバルが小スキピオに取りすがり助命を嘆願する姿を見て、カルタゴの兵士は恥知らずと罵ったという。勝利者となった小スキピオはポリュビオスの手を握り、「喜ばしいことだ。だが、いつかわが祖国も同じ運命を辿るのではないか、そんな気がしてならないのだ」と語りかけ、そしてこの栄華を極めたカルタゴが燃え尽きる様を見ながら涙を流し、これまで戦ってきた相手のために悲しむと、これまで同じように滅びてきた国々を思い、ホメーロスの一節を口ずさんだ。 日は來るべしイーリオン、聖なる都城亡びの日、槍に秀づるプリアモス、民衆ともに亡びの日。 ホメーロス『イーリアス』6.448-449(土井晩翠訳) この勝利によって凱旋式を挙行すると、実父マケドニクスに倣って祝祭を行ったという。そこで非ローマ市民の脱走兵を肉食獣に与えて見世物にした。
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