一回目のコンスルシップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 23:25 UTC 版)
「クイントゥス・セルウィリウス・ストルクトゥス・プリスクス」の記事における「一回目のコンスルシップ」の解説
紀元前468年、この頃のローマでは護民官の選出方法を改定するプブリリウス法(英語版)巡ってパトリキとプレブス (平民)の争いが続いており、プレブスはこの年の執政官を選出する選挙をボイコットしていた。ストルクトゥスは執政官となると、ローマ周辺を略奪したサビニ族を追撃して戦利品を得た。同僚のバルバトゥスは二度目の執政官選出であり、ウォルスキ族を担当したが、アエクイ族の援軍を得た敵は多勢で苦戦した。虚報や撹乱といった計略を用いてなんとか対抗し、最後は敗走寸前の軍を大声で叱咤して戦線を建て直し、最終的にはウォルスキの主要都市アンティウムを陥落させた。
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