執政官軍の敗北(紀元前72年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 07:11 UTC 版)
「第三次奴隷戦争」の記事における「執政官軍の敗北(紀元前72年)」の解説
「クリクスス」も参照 この時期のローマは西方のヒスパニアではセルトリウスの反乱が紀元前77年から続いており、紀元前73年にはこれに呼応する形で東方のポントス王ミトリダテス6世との戦争が再開していた(第三次ミトリダテス戦争)。東地中海ではクレタの海賊が跋扈してローマの補給路を脅かしており、この危機のさなかにイタリア本土で剣闘士や奴隷による蜂起が発生した。 ローマ メタポントゥム ムティナ トゥリ ローマ メタポントゥム ムティナ トゥリ 紀元前72年、奴隷軍は冬営地を出立し、ガリア・キサルピナ(現在の北イタリア地方)に向けて北上した。 反乱軍の規模とグラベルおよびウァリニウス両法務官の敗北に危機感を持った元老院はその年の執政官であったレントゥルスとゲッリウスの率いるローマ軍団を派遣した。ゲッリウスの軍団はガルガヌス山麓でクリクススの率いていた軍30,000と戦った。この戦いについてはサッルスティウスの著作"Historiae"に若干の記述があり、数に劣るゲッリウスの軍団は高地に二列の戦列を組んで敵を待ち構え、クリクススがこれを攻撃したという。結果はゲッリウスの大勝に終わり、クリクススを含む奴隷軍の3分の2が殺された。この戦いには後にカエサルの政敵となる若き小カトも従軍しており、戦勝を悦んだゲッリウスは小カトに褒賞を与えようとしたが、彼はこれを固辞したという。 この時点以降、クラッススが登場するまでの期間の経過は古典史料によって内容が大きく異なっている。現存する包括的な内容のアッピアノスとプルタルコスの史書の伝える経過の詳細は大きく異なっている。しかしながら、一方が他方と直接矛盾するものでもなく、異なる出来事が記述され、他の史料に書かれている出来事が無視されていたり、逆に他にはない出来事が記述されてもいる。
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