国際線の拡大とスターアライアンスへの加盟
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「全日本空輸」の記事における「国際線の拡大とスターアライアンスへの加盟」の解説
1994年(平成6年)の関西国際空港開港後は、同空港を成田国際空港(当時の新東京国際空港)と並ぶ拠点と位置づけ中華人民共和国や北東アジア路線だけでなく、デンパサール、ヤンゴン、ムンバイ、シドニー、ブリスベン、ローマ、ロンドンなど関空からの中・長距離の路線の開設を積極的に行った。2000年頃までは小牧空港からホノルルへの路線や福岡空港からバンコクや上海、大連等への路線も開設していた。さらにアメリカ線の強化で成田からのシカゴやサンフランシスコ線を開設したほか、ジャカルタ、デンパサール、ムンバイ線を毎日運航で就航させたものの、その後の不採算などにより撤退した路線も多数ある。(シカゴ・デリー・ムンバイ・クアラルンプール・ヤンゴン・ジャカルタ・シドニーなどは就航当初の関空からは撤退しているものの、2006年 (平成18年)後半以降に成田・羽田から路線を復活させた。) その後1999年(平成11年)10月に、航空連合の一つであるスターアライアンスに9番目の航空会社として加盟した。スターアライアンス加盟航空会社とのコードシェアによって国際線路線網の少なさをカバーするとともに、重複路線からの自社運航便の撤退や、日本国外での知名度を向上させるなど、航空連合に加盟することで自社の弱点を補うという経営戦略への転換を図ることとなる。なお加盟後は機体に「STAR ALLIANCE」のマークとロゴマークを追加している。 経営不振に伴い、1999年5月に制定した2002年度に至るまでの中期経営計画では、選択と集中を推し進めるとし構造改革を勧めた。ビジネスユーザにターゲットを絞った路線展開を進めることとなり、国際線に関しては従来ハブ空港であった成田と関空の2拠点を改め、二期工事完成を控える成田に経営資源を注力する方針となった。これに伴って関空発着の欧州・豪州方面の長距離路線は撤退・コードシェアへの移管を進めた。また関空発着路線に機内食を提供している関西インフライトケータリングを始めとする関空周辺の関連会社の経営権を手放したりした。関空を拠点とする新たな運行会社(エアージャパン)に関空発着路線を2000年度から全日空から運行を移管しコスト削減を進めるとした。これらの路線整理に伴い国際線は座席キロベースで3割程度削減した。国内線に関しては、関空・福岡路線を中心とした地方路線のエアーニッポンへの移管にともなうコスト削減、羽田への経営資源の集中投下を進めるとした。 2000年7月に日本航空、日本エアシステム (JAS)とともに東京(羽田)-大阪(伊丹・関空)においてシャトル便の運行を開始した。 関空発着の長距離線撤退に伴い国際線の事業規模は縮小したものの、2001年3月期においては旅客数の向上、上級クラスの利用率向上が見られるなど収益性は向上し黒字転換に近づいた。関空発着路線においても新たにホノルル線を開設するなどしてアジアおよびリゾート路線の拠点空港としての立ち位置を明確にさせたり国際線のエアージャパン・国内線のエアーニッポンへの移管を進めたりと収益性の向上に努めた。また一部の羽田発着の国際チャーター便にも参入した。 これらの改革の結果、定期便進出から18年後の2004年度に国際線の初の黒字化を達成した。
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