国鉄20系客車の登場と名称の起こりとは? わかりやすく解説

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国鉄20系客車の登場と名称の起こり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 15:44 UTC 版)

ブルートレイン (日本)」の記事における「国鉄20系客車の登場と名称の起こり」の解説

日本ブルートレイン元祖 国鉄20系客車 ナハネフ22 1鎌倉総合車両センターにて2004年撮影(※現在は鉄道博物館にて保存・展示車両)。 1956年東京駅 - 博多駅間で運行開始したあさかぜ」は、京阪神深夜通過するダイヤ設定関西からの反発はあったものの、乗車率好調であった。しかし、現行のA寝台相当する二等寝台車として、戦前製造ツーリスト寝台車使用したり、列車によっては、急行列車用いられる車両使用したため、特急列車見合う車両求められるようになった。 そのために設計・製造された車両20系客車である。詳細は、車両の項に譲るが、日本の客車としては初となる「固定編成」の考えに基づき初め全車両に空調設備設け食堂車電気レンジ調理用いるなど、編成内のすべてのサービス電源編成端の電源車賄う「完全電化」された車両となった当初東海道区間における座席需要多かったため、寝台車の他に座席車連結していた。 また、塗色は、同じ1958年登場した昼行特急列車用の電車である20系電車(のちに称号改正151電車181系)が、クリームクリーム4号)と赤(赤2号)の明る塗色採用したのに対しヨーロッパの寝台車多く用いられていた青(青15号)が選ばれ屋根以外を青色にし、クリームクリーム1号)の細いライン車両側の上部・中央下部の3か所に入れたものとした。 当初20系は、(東京対)九州方面寝台特急列車のみに充当されたため、この車両用いた列車は「九州特急」などと呼ばれ、その車両固定編成客車呼ばれた。しかし1964年からは、東京から北へ向かう「はくつる」に充当されようになったことから、「九州特急」の呼称不適切なものになったまた、1964年東海道新幹線開業後20系座席車寝台車次々と置き換えられ全車寝台化が図られていった1965年頃からは、趣味誌において「ブルー・トレーン」という表現使われ始めている。国鉄文書での最初の使用は、PR誌国鉄通信1966年8月22日号であるが、国鉄関係者執筆文書による使用は『運転協会誌1966年8月号で既に使われている。

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