国鉄20系客車の登場と名称の起こり
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「ブルートレイン (日本)」の記事における「国鉄20系客車の登場と名称の起こり」の解説
日本のブルートレインの元祖 国鉄20系客車 ナハネフ22 1鎌倉総合車両センターにて2004年撮影(※現在は鉄道博物館にて保存・展示の車両)。 1956年に東京駅 - 博多駅間で運行を開始した「あさかぜ」は、京阪神を深夜に通過するダイヤ設定で関西からの反発はあったものの、乗車率は好調であった。しかし、現行のA寝台に相当する二等寝台車として、戦前製造のツーリスト式寝台車を使用したり、列車によっては、急行列車に用いられる車両を使用したため、特急列車に見合う車両が求められるようになった。 そのために設計・製造された車両が20系客車である。詳細は、車両の項に譲るが、日本の客車としては初となる「固定編成」の考えに基づき、初めて全車両に空調設備を設け、食堂車で電気レンジを調理に用いるなど、編成内のすべてのサービス電源を編成端の電源車で賄う「完全電化」された車両となった。当初は東海道区間における座席需要も多かったため、寝台車の他に座席車も連結していた。 また、塗色は、同じ1958年に登場した昼行特急列車用の電車である20系電車(のちに称号改正で151系電車→181系)が、クリーム(クリーム4号)と赤(赤2号)の明るい塗色を採用したのに対し、ヨーロッパの寝台車に多く用いられていた青(青15号)が選ばれ、屋根以外を青色にし、クリーム(クリーム1号)の細いラインを車両側面の上部・中央・下部の3か所に入れたものとした。 当初20系は、(東京対)九州方面の寝台特急列車のみに充当されたため、この車両を用いた列車は「九州特急」などと呼ばれ、その車両は固定編成客車と呼ばれた。しかし1964年からは、東京から北へ向かう「はくつる」に充当されるようになったことから、「九州特急」の呼称は不適切なものになった。また、1964年の東海道新幹線開業後は20系の座席車も寝台車に次々と置き換えられ、全車寝台化が図られていった。 1965年頃からは、趣味誌において「ブルー・トレーン」という表現が使われ始めている。国鉄文書での最初の使用は、PR誌『国鉄通信』1966年8月22日号であるが、国鉄関係者執筆の文書による使用は『運転協会誌』1966年8月号で既に使われている。
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