営団地下鉄日比谷線神谷町駅車両火災事故とは? わかりやすく解説

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営団地下鉄日比谷線神谷町駅車両火災事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)

日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「営団地下鉄日比谷線神谷町駅車両火災事故」の解説

1968年昭和43年1月27日 営団地下鉄(現東京メトロ日比谷線神谷町駅付近で、回送中東武鉄道2000系6両編成)の3両目主抵抗器付近から出火して火災起こし、1両が全焼、1両が半焼した。 事故列車は、六本木駅主抵抗器赤熱して付近から発煙していることが見つかったために営業打ち切って乗客降ろし霞ケ関駅側線向けて回送中だったので幸いにして乗客被害発生しなかったが、火災発生が駅と駅の中間だったために消火手間取り乗務員消防士11人が負傷した。なお、全焼した車両車体・機器ともすべて造り直され修理扱い復帰した火災の原因は、主抵抗器過電流により過熱して、上部にある樹脂電線管から出火し延焼したものとされた。この事故1時間ほど前、この編成中目黒行きとして運行中主制御器の進段トラブル発生しその際3両目を含む第2ユニット開放処置行ったが、3両目主制御器並列段の進段途中で停止したままになっており、北春日部への折り返し運転時に運転士転換器操作しても(ユニット開放されているため)極性転換せず、走行中は常時発電ブレーキかかっている状態となっていたのが主抵抗器過熱原因である。 この事故で、当時耐火基準の最高ランクだったA-A様式該当する車両が1両全焼したことは可燃性車両部品の使用見直きっかけとなり、事態を深刻と見た運輸省当時現在の国土交通省)は営団中野工場内での実車燃焼実験などを含む抜本的検討行い、翌1969年昭和44年5月従来通達代わる電車火災事故対策について」を通達することによって新たな耐火基準いわゆるA-A基準)を定め火災事故対策強化した。この基準世界的に見て厳格なもので、以後鉄道火災事故防止貢献している。

※この「営団地下鉄日比谷線神谷町駅車両火災事故」の解説は、「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の解説の一部です。
「営団地下鉄日比谷線神谷町駅車両火災事故」を含む「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事については、「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の概要を参照ください。

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