営団地下鉄日比谷線神谷町駅車両火災事故
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「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「営団地下鉄日比谷線神谷町駅車両火災事故」の解説
1968年(昭和43年)1月27日 営団地下鉄(現東京メトロ)日比谷線神谷町駅付近で、回送中の東武鉄道2000系(6両編成)の3両目の主抵抗器付近から出火して火災を起こし、1両が全焼、1両が半焼した。 事故列車は、六本木駅で主抵抗器が赤熱して付近から発煙していることが見つかったために営業を打ち切って乗客を降ろし、霞ケ関駅の側線へ向けて回送中だったので幸いにして乗客の被害は発生しなかったが、火災発生が駅と駅の中間だったために消火に手間取り、乗務員や消防士ら11人が負傷した。なお、全焼した車両は車体・機器ともすべて造り直され修理扱いで復帰した。 火災の原因は、主抵抗器が過電流により過熱して、上部にある樹脂製電線管から出火し延焼したものとされた。この事故の1時間ほど前、この編成が中目黒行きとして運行中に主制御器の進段トラブルが発生し、その際3両目を含む第2ユニット開放の処置を行ったが、3両目の主制御器は並列段の進段途中で停止したままになっており、北春日部への折り返し運転時に運転士が転換器を操作しても(ユニットが開放されているため)極性が転換せず、走行中は常時発電ブレーキがかかっている状態となっていたのが主抵抗器過熱の原因である。 この事故で、当時の耐火基準の最高ランクだったA-A様式に該当する車両が1両全焼したことは可燃性の車両部品の使用を見直すきっかけとなり、事態を深刻と見た運輸省(当時。現在の国土交通省)は営団中野工場内での実車燃焼実験などを含む抜本的検討を行い、翌1969年(昭和44年)5月に従来の通達に代わる「電車の火災事故対策について」を通達することによって新たな耐火基準(いわゆるA-A基準)を定め、火災事故対策を強化した。この基準は世界的に見ても厳格なもので、以後の鉄道火災事故防止に貢献している。
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