周辺地域との関係
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盆地を南北に縦断するように、江戸時代には奥州道中(仙台・松前道)、明治時代以降は東北本線、国道4号、東北自動車道、東北新幹線が順次造られ、主要幹線として機能している。 現在の北上市(旧和賀郡)から奥羽山脈白木峠を越えて秋田県横手市(旧平賀郡)に至る「平和街道」(明治時代初期に命名。旧・秀衡街道)は、北上盆地(奥六郡)と横手盆地(仙北三郡)を繋ぐ主要路で、この道を通じて奥州藤原氏は両地域を治めた。現在は国道107号、北上線、秋田自動車道が通り、秋田新幹線とともに両地域の文化的一体性(例 芋煮会など)や経済的一体性が見られる。 北上盆地は海に面していないため外港を求めたが時代によってその地位は変遷している。江戸時代には、盛岡藩(南部藩)の知行域内の八戸や宮古(三陸海岸北部)、良港が多い三陸海岸南部諸港(仙台藩領内)の他、北上川水運を利用して仙台藩内の石巻が外港として機能した。現在は、東北道経由の仙台港、八戸自動車道経由の八戸港他、秋田道を利用した秋田港も利用されており、高速道路の結節点である盛岡都市圏や北上都市圏の工業・流通拠点としての地位をつくりだしている。
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周辺地域との関係
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摩気郷十一ヶ村現集落旧村落神役村氏神総鎮守藩領宮本竹井 篠田 宮司当 摩氣神社[位置] 摩氣神社 園部藩 摩気 宮主 上新江 (今井) 宮司当 (辻田) 宮司当 摩気郷十一ヶ村仁江 下新江 蛭子神社[位置] 船阪 船阪 典供者 八幡宮[位置] 大西 大坪 沙汰人 八幡宮[位置] 西山 八幡宮[位置] 宍人 宍人 沙汰人 菅原神社[位置] 横田△ 上横田 三輪神社[位置] 南横田 下横田 若宮神社[位置] 城南町△ 大村 加茂神社[位置] 半田 東半田 大森神社[位置] 西半田 南半田 亀山藩 黒田△ 黒田 熊野神社[位置] 口八田△(京丹波町) 笹尾 葛城神社[位置] 中畑 辻 口人× 中口人 春日神社 藪田神社 下口人 吉備神社 口司× 上口人 鏡神社 絹掛 注:△印は参加しなくなった集落。×印はもとから不参加の集落。 節内の全座標を示した地図 - OSM節内の全座標を出力 - KML 節内の全座標を出力 - GPX 表示 近世には、宮本である竹井村の他に近郷諸村の共同の氏神とされたため「摩気郷十一ヶ村の総鎮守」とも称されていた。 近世の村単位だと宮本の竹井村が篠田、摩気、上新江の3村に分かれていたように(上新江村は当神社祭礼に関する場合、更に今井、辻田の2村に分かれた)、他の集落も複数の村に分かれており、総鎮守とした村は都合19個村にも及んでいた(右表参照)。「十一ヶ村」の称には符合しないが、当社の氏子集落には別に村単位の氏神が合計11社あってそれらを当神社の末社として位置付けていた。そのことから、この場合の「十一ヶ村の総鎮守」とはその11社の上位に位する総氏神という意味である。また、「摩気郷」という郷名は史料に確認できないので地域的な通称と思われるが、祭祀圏が周辺村落に展開されていた点に極めて中世的な姿が認められることから中世に遡る広域名称であったことが想定できる。この地域が藩政時代にあって園部、亀山両藩に分かれながらも藩政の枠を超えて共同で祭祀を担当していたこともその一証とされる。
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