マーディ・ブト文化(ブト・マーディ文化/マーディ文化)
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「エジプト先王朝時代」の記事における「マーディ・ブト文化(ブト・マーディ文化/マーディ文化)」の解説
デルタ地帯付け根部分の東岸にあるマーディ遺跡から、メリムデ、オマリ文化に続く時代の文化遺構が発見され、マーディ文化と名付けられた。その後同種の文化がブト遺跡でも発見されたことから、マーディ・ブト文化とも呼ばれる。この文化は、先行するメリムデ文化やオマリ文化を引き継いで発展したものと考えられ、牧畜においてはロバ、ウシ、ヒツジ、ヤギ、ブタ、イヌが飼育されていたことが明らかとなっているが、特に重要なのは発見された動物骨の大半が飼育動物のものであることで、未だ狩猟は行われていたもののその重要性は大きく下がっている。ただし、漁労は非常に盛んであり多数の魚の骨が発見されている。遺跡において特徴的なのは楕円形をした半地下式の住居で、類似する形態の物がパレスチナ地方からも発見されており、その密接な関係を示唆している。また、農耕・牧畜のみならず銅製品の加工も行われていたことが明らかになっている。下エジプトで銅は得られない事から、周辺地域から原材料を輸入していた事を示すものであり、このこともマーディ・ブト文化の人々の周辺地域との関係の大きさを知る事ができる。 マーディ・ブト文化の遺跡は下エジプトの全域から発見されているが、ナカダ2期の終わり頃(紀元前3500年~紀元前3300年)から次第に独自性を喪失し、上エジプトから広がったナカダ文化が下エジプトに定着していく。
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