オマリ文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 09:38 UTC 版)
カイロの南約20キロメートルのナイル川東岸にあるオマリ遺跡では、ファイユーム文化やメリムデ文化の最終段階と同時期に位置付けられる文化が発見され、遺跡の名前を取ってオマリ文化と呼ばれている。放射性炭素年代測定による年代測定では紀元前4600年頃~紀元前4400年頃という年代が得られている。やはりエンマー小麦、クラブ小麦や大麦などを栽培し、ウシ、ヒツジ、ブタ、ヤギを飼育、野生の植物や動物を捕食していた。水産物もナマズやナイルパーチ等が豊富に捕獲されていた。石器はフリントを用いた剥片石器が中心であるが、少数ながら石刃技法によるものも認められる。石皿等穀物を食するのに必要な道具類の数が少ないことから、ここでも穀物栽培は未だ補助的な役割を果たしていたに過ぎないと推測されている。オマリ文化はメリムデ文化と並行する時代であり、共通点も相違点もあることから、相互の関係については明確ではない。
※この「オマリ文化」の解説は、「エジプト先王朝時代」の解説の一部です。
「オマリ文化」を含む「エジプト先王朝時代」の記事については、「エジプト先王朝時代」の概要を参照ください。
- オマリ文化のページへのリンク