呉の人々とは? わかりやすく解説

呉の人々

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 15:15 UTC 版)

この世界の片隅に」の記事における「呉の人々」の解説

白木リン 朝日遊廓二葉館」の遊女すず同じく広島出身闇市での買い物帰りに道に迷ったすずに声をかけ仲良くなるが、ふとしたきっかけ周作浅からぬ仲であることが判明する小学校には半年しか通わなかったため片仮名しか読めず、絵のやりとりすず知り合うきっかけとなった終盤の第41話で子だくさんの家に育ち口減らしのため子守りとして売られるがそこを逃げ出して放浪の末、行き着いた呉の遊廓働きだしたことや、実は短編大潮の頃』ですず出会った座敷童子リンであったという設定物語が、失われたすず右手テル遺品である艶紅によって描かれる本作中でも、たまたますず着ていた服がかつて祖母の家に着ていったよそ行きの服を直したのだった事がリンの気を引いた事が示唆されている)。呉市への度重なる空襲二葉館が焼け落ち焼け跡すず経由して渡され茶碗欠片残されたが、自身行方知れずとなった小林夫妻 円太郎の姉夫妻周作にとっては伯父伯母すず周作仲人務めた昭和19年10月物資疎開のために北條家訪れ、径子に仕事紹介をした。昭和20年7月1日空襲自宅全焼したため、円太郎頼り北條家同居することになる。原爆投下後に夫婦広島出向き放射能影響病気がちになる。 知多 近所の主婦北條家と同じ隣組。背が高く痩せている。刈谷とは仲が悪いが何かといつも近くにおり、戦況悪化するにつれて徐々に関係は修復していく。かつて看護婦務めていた。原爆投下直後広島市内へ近所の主婦とともに救援活動に向かうが、その際同行申し出たすず叱りつけ呉に留めた。後に入市被爆影響白内障患う刈谷 近所の主婦北條家と同じ隣組知多とは仲が悪かった。背が低く太り気味。すず乏し物資でも作れ料理レシピ教えてくれる。夫と弟が戦死した上、息子陸軍徴兵され、後に広島市への原爆投下行方不明となる。後日上長之木の隣保館にもたれ掛かって死んでいた身元不明遺体息子であったらしいと語った原作では戦友の文で知ったという)。(被爆火傷のため顔が酷くただれていたとはいえ息子の顔も分からなかったと嘆くが、「泣いてばかりでは塩分もったいない」とすず笑い合い気丈に生きていく。 堂本 近所老婦人北條家と同じ隣組防空壕北條家共有している。 テル リン同じく二葉館」の遊女赤毛九州方言特徴的将来憂い見知らぬ若い水兵によって心中未遂巻き込まれ冬場の川へ入ったため体調崩し療養していた。リン訪ねてきたすずに、南の島の絵を雪上描いてもらい喜んだその後リンからすずに「肺炎死んだ」と伝えられ遺品艶紅手渡された。 栗本 円太郎同僚晴美のために使い古し教科書を譲る約束をしていた。教科書受け取るためにすず訪ねて行ったところ、1945年3月空襲教科書は家ごと焼けてしまっていて、空襲足音知らせることになる

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