呉の命運を占う
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 07:52 UTC 版)
孫権は帝位に就いた際、趙達に対し「私は天子として何年在位出来るか」と問うた。趙達は「漢の高祖は王朝を建ててから十二年在位されました。しかし陛下はこれに倍されましょう」と言った。実際に、孫権の在位が二十四年に及んでおり、趙達の占いは的中している。 黄武3年(224年)、魏の曹丕は呉討伐の軍を起こし、広陵まで侵攻してきた。孫権は徐盛の献策を用い、長江沿いに蜿蜒と偽城を築いて抵抗した。そうとは知らぬ曹丕は軍を還したという。この時、孫権は事の成り行きを趙達に占わせた。すると趙達は「曹丕が逃げ出したというものの、呉は庚子の年に滅亡いたします」と言った。孫権が「いつの庚子だ」と訊ねると、趙達は指を屈して計算し「五十八年後でございます」と答えた。孫権は「今のことを憂えるのに手一杯で、遠い先のことまでは考えられぬ。そんなことは子孫たちの問題だ」と言った。その遥か後の天紀4年(280年)庚子の年、晋軍は各方面から呉に侵攻し、孫晧を降伏させ呉を滅ぼした。
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