吹き替え作品について
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吹き替えでの担当俳優のお気に入りは、『事件記者コルチャック』で声を担当したダーレン・マクギャヴィンだという。 持ち役のチャールズ・ブロンソンに関して、吹き替えを初めて担当した際、独特の声を表現するため、前日にブランデーやジンを飲み喉をわざと荒らしてアフレコに挑んだといわれていたが、とり・みき著『映画吹替王』の中で、「(略)あれはね、オーバー。ただ、前の日少しは飲んでも大丈夫っていう感じでね」とやんわりと訂正している。また、「ブロンソンには独特の間合いがある」とのことで、吹き替えを担当する役者にとっては非常に難しい存在であったと語っている。「ただ声を低くして、渋く喋っているだけじゃ駄目。彼の持つ雰囲気、また台詞と台詞の間(ま)など、彼の魅力を声で表現する場合、一番大切なのは台詞の最後の音を『半音』にすることを意識している」そうである。それにより「少ない台詞に言外の意味合いや雰囲気を持たせることができる」といっている。なお、半音にするという方法は市原悦子の独特な喋り方を観察して発見したそうである。ブロンソンの作品では、『ウエスタン』と『ストリートファイター』、それと『狼よさらば』が印象に残っているという。 俳優小劇場を解散し小沢昭一が芸能座を立ち上げたころ、井上ひさし脚本の舞台劇を年間2本で5年間で10本やろうという話になり、1ヶ月稽古で2ヶ月地方公演というスケジュールだったため吹き替えの仕事ができず、その間の持ち役であったブロンソンの吹き替えが森山周一郎の担当となったことに「悔しかった」と当時の思いを語った。なおその時期に森山がブロンソンを担当した映画『軍用列車』は、後のDVD収録の際にブロンソンに大塚を起用して改めて吹き替え音声を収録している。 リチャード・ウィドマークに関して日本で吹き替えが始まる以前から彼の芝居を研究していたため、「日本の役者の中で誰よりも彼の芝居を知っている」と誇りをもっており、独特な笑い方や喋る癖などを完璧に覚えている。そして自ら日本テレビの外画部に売り込み、合わない場合は使わなくて良いと言うことで吹き替えが行われ、これが好評だったため、以後テレビ放送されたウィドマークの映画はテレビ局に関係なくほとんど大塚が担当することになった。ウィドマークは一部の例外を除き、出演作のほとんどを大塚が吹き替え、ウィドマークの遺作である『トゥルー・カラーズ』まで担当した。ウィドマークの映画で好きな作品は『太陽に向って走れ』で、最後の最終弁論が5ページぐらい台詞があり、途中で間違えてまた頭から取り直したことがきつかったと語った。また持ち役であるウィドマークにたまたま違う声優が充てられたところ、激怒して現場まで行ってプロデューサーに「なんで俺じゃねえんだ」「あんな下手くそに喋らせやがって」などと詰め寄ったこともあるという。 吹き替えが始まった頃は、ヘッドフォンもなく自分の役を覚えモニターの俳優を見て自分の役が喋っているのを見つけて演じていたという。また、当時はテープ代が出演料の10倍と高価で録り直す場合最初から取り直し、最高で23時間かかったという。 吹き替えでは西部劇にも数多く声を当てており、納谷悟朗、山田康雄、小林清志、野沢那智らと共にテレビ洋画劇場のマカロニ・ウェスタン放映を支えた吹替役者の一人とされる。特に『続・夕陽のガンマン』でメインの3キャラクターを納谷悟朗、山田康雄と共演した日本語吹替(テレビ朝日「日曜洋画劇場」版)では特に高く評価されており、DVDソフト「セルジオ・レオーネ 生誕80周年記念 夕陽コレクターズBOX -日本語吹替完声版- 」内の『続・夕陽のガンマン』ではテレビ放送でカットされた部分の吹き替えを、初回収録と変わらない声質で追加収録している。
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