名古屋とタモリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:13 UTC 版)
詳細は「名古屋オリンピック構想」を参照 タレントのタモリは芸能界デビューから1980年代にかけて、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組『タモリのオールナイトニッポン』の毒舌パーソナリティーとして若者の間で人気を獲得し、番組内に「お国批判にしひがし」というコーナーを設け聴取者から笑いのネタを募り、全国各地を笑いの対象としていた。名古屋については1970年代後半頃から関心を示すようになり、名古屋人の有する「見栄っ張り」「倹約家」などの気風をダサいものと見做し笑いの対象としていた。 中でも名古屋が1988年(昭和63年)の夏季オリンピックの開催都市に立候補した名古屋オリンピック構想について関心を示し、「名古屋商法はえげつない。オリンピックも表面上は文化のためというが、内心は金もうけが目的」と称して各地で「名古屋五輪粉砕」を呼びかけていた。こうした状況の中、タモリは1981年(昭和56年)に「ラジカル・ヒステリー・ツアー」と題した全国ツアーを展開、6月11日に名古屋大学の学園祭(名大祭)と、翌日の6月12日に愛知県勤労会館で初の名古屋公演を行い、観客にさまざまな名古屋ネタを浴びせたが場内は友好的ムードに包まれたまま閉幕した。 一方、同年9月30日に西ドイツのバーデンバーデンで行われた国際オリンピック委員会 (IOC) 総会の投票においてソウルに大差で敗れ、五輪開催招致に失敗すると、タモリはIOC総会の1時間後に放送された『タモリのオールナイトニッポン』の中で、ニッポン放送のスタジオに詰めかけた多くの記者を前にして次のように語った。 (名古屋に対して)別に本当に恨みがあるわけじゃございませんでねェ…。おやじが行商中に竹槍で殺されたとか、あるいは名古屋の女に病気をうつされたとか、そういうことはないんでありまして。単に、ある地方をサカナにして、推測と理論でワァワァ笑ってる、というだけのことでしてねェ。だからわかってるひとは名古屋のコンサートでも笑ってくれているんで。ムクレているのは女子供と爺っちゃん連中、という話のわからない…。(中略)いちばんガッカリしてるのは名古屋財界人でしょうねェ。こうゆう人の落胆が見えるようですね。名古屋の街は全部ネオンを消して、県庁、市庁は半旗を掲げて…ってのは聞いておりませんけど。 — タモリ また、この放送の中でタモリは「名古屋に決まっていた場合、7年間は名古屋ネタで繋げられた。その意味で(招致失敗は)名古屋にとっても自らにとっても不幸な出来事だった」と語り、名古屋批判を抑えるようになった。
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