名古屋での開館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 16:45 UTC 版)
1971年(昭和46年)、当時、名古屋市で鉄工所を経営していた水野恒男は、趣味である写真の被写体を求めて市内の民芸品店を訪れ、マコンデ族の彫刻に出会い衝撃を受けた。この時に衝動買いした作品は、いかりや長介に似ていたことから「チョースケ」と名付けて、現在も美術館に所蔵されている。それ以降、水野はマコンデ作品の収集に没頭した。最初は輸入業者を通して入手し、次第にアフリカ大陸へ赴き、芸術家から直接買い付けるようになっていった。作品に魅了されるうち、広く一般にもマコンデ彫刻を知ってほしいという思いが募り始め、周囲の後押しもあって、1984年(昭和59年)11月、名古屋市南区に私設のマコンデ美術館を開館した。 鉄工所を増築して260m2の展示場所を確保し、自身のコレクションから約50点を選んで公開した。美術館の建設費は鉄工所を担保にして数千万円をかけ、6年かけて自力で建設した。東京や大阪など日本全国からの訪問者に加え、タンザニア政府の大臣やタンザニア駐日大使も来館し、「こんな立派な美術館はタンザニアにもありません」と評したという。しかし工場地帯に立地していたことから来館者は多くて1日30人程度であり、誰も訪れない日もあった。そうしたことから水野は「人の集まる観光地でゆっくりと作品を鑑賞してほしい」と考えるようになり、三重県度会郡二見町(現・伊勢市)の現在地に移ることを決定した。移転前には、地元名古屋のマコンデ美術館支援者らから美術館が名古屋を去ることを惜しむ声が上がり、名古屋で生まれ育った水野自身、名古屋を離れることを残念がるコメントを発した。
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