合戦以前の情勢とは? わかりやすく解説

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合戦以前の情勢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 15:35 UTC 版)

桶狭間の戦い」の記事における「合戦以前の情勢」の解説

15世紀末、駿河国今川氏親勢力拡大しその子である今川義元駿河遠江領国形成するまた、甲斐国武田氏後北条氏甲相駿三国同盟締結西方三河尾張方面への領土拡張図ろうとしていた。 尾張国では守護斯波氏家臣清洲織田氏家老である織田弾正忠家成長織田信定織田信秀信長の父)と二代にわたり領土広げた今川氏尾張一部にも勢力持っていたが、信秀天文7年1538年)までに、尾張那古野城にいた今川氏豊追放して城を奪い今川氏との対立が始まる。 信秀尾張東部西三河巡り三河の有力国人である松平氏とも抗争していた。松平清康東尾侵攻中に家臣殺害され森山崩れ)、その子松平広忠早世して弱体化し今川氏保護下に組み込まれていったこのため織田氏今川氏西三河東尾張で対峙することになった天文11年1542年)の第一次小豆坂の戦いでは織田方が勝利したが、天文17年1548年)の第二次小豆坂の戦いでは今川方が勝利。翌天文18年1549年)には今川方が織田方の三河進出拠点となっていた安祥城攻略し織田氏三河進出挫折終わった。 さらに天文20年1551年)には織田信秀病没後継織田信長とその弟・信勝(後の織田信行)間で 内紛起こった。この結果尾張三河国境地帯における織田氏勢力動揺し信秀死に前後して鳴海城笠寺城(それぞれ名古屋市緑区南区)を守る山口教継今川方に投降加えて山口氏調略によって尾張東南大高城愛知県名古屋市緑区大高)、沓掛城豊明市沓掛町)の一帯今川氏の手落ちた。この4城は尾張中心部知多半島分断する位置にあった愛知用水開通とそれによる農地開発以前知多半島は、ほぼ全域小さな山や谷が連なる丘陵地主要河川無く溜め池に頼る農業困難地帯であった知多農業生産性および兵員動員能力では尾張数分一以下に過ぎないしかしながら伊勢湾東岸占め海運要地であり、商業港である津島支配し財政支えとしていた織田家にとって、重大な脅威となっていた。尾張西南の荷之上城拠る服部友貞今川方に与しており、荷之上城に近い蟹江城弘治元年1555年)に今川方に攻められ伊勢湾制海権徐々に侵略されつつあった。 織田信長今川氏進出阻止逆襲動いた天文23年1554年)には知多領主である水野氏支援して今川方の村木砦攻め落とした笠寺城を奪還したほか、鳴海城周辺には丹下砦善照寺砦中嶋砦を、大高城周辺には丸根砦鷲津砦を築くことで圧迫し、城相互連絡遮断した尾張東北では永禄元年2年1558年1559年)、松平今川氏押さえる品野城瀬戸市)を攻めたが、奪取はならなかった。

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合戦以前の情勢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/31 21:29 UTC 版)

多功ヶ原の戦い」の記事における「合戦以前の情勢」の解説

越後国長尾景虎関東出兵乗り出す前に会津蘆名盛氏共謀し下野国宇都宮氏攻めるよう示し合わせた。宇都宮氏弘治3年1557年)に重臣芳賀高定尽力により、北条氏康佐竹義昭らの協力得て壬生綱雄奪われていた宇都宮城奪還したばかりであり、当主宇都宮広綱若く不安定な時期であった景虎下野国の小大名佐野氏宇都宮領に侵攻するよう出撃命じ下野国侵攻した

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