古代のバンビュケ/マンビジ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/29 03:16 UTC 版)
「マンビジ」の記事における「古代のバンビュケ/マンビジ」の解説
古代のマンビジはギリシャ語ではバンビュケ(Bambyce)の名で登場するが、大プリニウス(v. 23)はそのシリア語名をマッブーグ(Mabog, または Mabbog, Mabbogh)と述べている。もとは古代アルメニア王国のコンマゲネ地方の聖地だと考えられるが、歴史記録への最初の登場はセレウコス朝時代であり、首都アンティオキアとチグリス河畔のセレウキアを結ぶ国道上にある拠点であった。またシリア地方の女神アタルガティス(Atargatis、ギリシャ人は縮めてデルケトー Derketoと呼んだ)の祭祀の中心であり、ギリシャ人はこの都市を「聖地の都市」(ヒエロポリス、Ἱεροπολις、Hieropolis)または「聖なる都市」(ヒエラポリス、Ἱεραπολις、Hierapolis)と呼んだ。アタルガティスの神殿は、紀元前53年、パルティアとの戦いに赴くローマのマルクス・リキニウス・クラッススにより略奪された。 アタルガティス神への信仰は、コンマゲネの住民であるルキアノスによるものとされる有名な小冊子『シリア女神について』(De Dea Syria) に登場する。この文章では神殿での崇拝や飲めや歌えの大騒ぎぶり、アタルガティス神の聖なる魚が泳ぐ水槽について詳述されている。『シリア女神について』によれば神殿では男根崇拝がされており、信者達は木や青銅でできた小さな男性像を捧げている。大きな男根が神殿の前にオベリスクのようにそそり立ち、年に一度はよじ登る儀式が行われる。神殿には神官しか立ち入れない聖なる部屋があり、その前には青銅の大きな祭壇が立ち奥に神像群がある。その前庭には犠牲に捧げられる動物や鳥達がいる。神殿には300人ほどの神官が仕え、その他大勢の人が奉仕している。聖域の中央には大きな池があり、信者達は中へ泳いで水の中に立つ祭壇を飾り付けるのが習慣となっている。境内では自傷行為やその他の乱痴気騒ぎが行われる。また街に入ったり神殿を最初に訪れる際には複雑な儀式があるとされる。 3世紀、マッブーグはユーフラテス川地方の中心都市でシリアの大都市のひとつだった。プロコピオスは、この街を世界のこの部分では最大であると述べている。しかし4世紀に皇帝ユリアヌスがサーサーン朝との戦いのために兵を集め、陣中で没した頃には零落した都市となっている。東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世はこの都市をサーサーン朝のホスロー1世から守ることができず、ホスロー1世はマッブーグを人質にして要求をした。8世紀後半、アッバース朝のハールーン・アッ=ラシードは街を修復し、以後東ローマ・アラブ・テュルクがこの街を巡ってあい争った。12世紀、十字軍がセルジューク朝からマンビジを奪ったが、サラーフ・アッディーンが1175年に奪回した。後に中東へ侵入したモンゴル帝国のフレグがマンビジに司令部を置いたが、この際に廃墟となり以後長らく再建されなかった。
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