古代の三枝氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 09:23 UTC 版)
三枝氏は三枝連(さいぐさのむらじ)の流れで、三枝連は天津彦根命の後裔であるという。「三枝連」の由来は顕宗天皇の治世の時、諸氏を集めて祝宴が開かれた際、庭に三茎の草があり、これを天皇に献上して三枝連を賜ったという逸話に由来するとされる。しかし、この説に『寛政重修諸家譜』は疑いを示している。 山梨県甲州市に所在する柏尾山経塚は、出土した経銘文により平安時代の康和5年(1103年)に勧進僧の寂円により造営されたと判明する。康和5年在銘の経筒には関係者として三枝守定・守継ら三枝氏の一族の名が見られる。また、山梨県笛吹市の福光園寺本尊の吉祥天像は鎌倉時代の寛喜3年(1231年)に仏師の蓮慶により制作されたとする墨書銘を有し、檀越として三枝氏の一族の名も記されている。
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