反米化する国内、米ソ対立とは? わかりやすく解説

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反米化する国内、米ソ対立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 03:39 UTC 版)

朝鮮戦争」の記事における「反米化する国内、米ソ対立」の解説

不調に終わった米ソ共同委員会再開目指すアメリカ政府は、軍政庁の親米派李承晩金九など)に偏重し政策批判極左極右排斥して呂運亨などによる左右合作親米政権樹立画策し始めたアメリカは常に朝鮮問題東西対立一部してみなし、対立となる要素国内からアメリカ主導して排除することに腐心した一方ソ連は、朝鮮人自身南北問題とみなし、ソ連主義一にする朝鮮人主導者立てて統一支援したソ連占領下の北半部では、1946年2月8日金日成中心とした共産勢力が、ソ連後援受けた暫定統治機関としての北朝鮮臨時人民委員会設立翌年2月20日北朝鮮人民委員会となる)。8月には重要産業国有法を施行して、共産主義国家設立への道を歩み出した。これに対抗して李承晩は、南半部のみで早期国家設立ソ連排斥主張し始めた6月3日の「井邑発言」)。金九などはこれに反発して離反した朝鮮半島近代化させた日本による統治終わり、軍や政府警察だけでなく企業撤退して行ったことで、経済治安混乱した朝鮮半島インフレ進行し失業者急増5月には水害疫病コレラ)が発生し1万規模死者出た8月に入ると食料不足し各地暴動発生する軍政庁は韓国民主党結んで左派ともども武力暴動鎮圧図ったため市民一斉に反発した9月にはゼネスト10月には大邱10月事件発生全国230万人参加する騒乱となった軍政庁は戒厳令敷き鎮圧したが、このことがアメリカ軍政への支持決定的に失わせた。軍政庁は一連の騒動責任左派、特に朝鮮共産党から11月結成した南朝鮮労働党求め朴憲永などは弾圧避けて越北した。 1947年3月12日トルーマン大統領は、イギリスギリシャ内戦への関与から撤退した後にアメリカ引き継ぎこれを機に世界的な反共活動支援する宣言トルーマン・ドクトリン)。それ以降南朝鮮では共産勢力徹底した排除が行われた。そこへ反共活動のため渡米していた李承晩戻り反共とともに南朝鮮政権樹立運動活発化させる。1947年6月には軍政対立したまま李承晩中心とした南朝鮮過渡政府設立7月には左右合作目指していた呂運亨暗殺され左右決裂。それを機に北半部と南半部は別々の道を歩み始めることとなった金日成1948年3月に、南半部(北緯38度線以南)への送電停止1910年から1945年の間、朝鮮半島統治していた日本は山の多い半島北半部を中心に水豊ダムなどの水力発電所建設し、そのため南半部は電力を北半部に依存していた)。一方李承晩韓国内朝鮮労働党参加させない選挙実施し、正式国家樹立させることを決断した1948年済州島では南朝鮮労働党中心として南北統一された自主独立国家樹立訴えデモ警察発砲しその後ゲリラ化して対抗。その鎮圧過程政府の方針反抗した軍部隊の叛乱発生麗水・順天事件)。さらに潜伏しゲリラ島民ごと粛清虐殺する事件発生した済州島四・三事件)。

※この「反米化する国内、米ソ対立」の解説は、「朝鮮戦争」の解説の一部です。
「反米化する国内、米ソ対立」を含む「朝鮮戦争」の記事については、「朝鮮戦争」の概要を参照ください。

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