反米・人種主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 16:36 UTC 版)
2008年11月のアメリカ合衆国大統領選挙の後、NPDは「アフリカはホワイトハウスを征服した」というタイトルの文章を公開した。アメリカ合衆国で初のアフリカ系アメリカ人の大統領が選出されたのは「アメリカのユダヤ人と黒人との同盟」の結果だとして、「非白人のアメリカ人は、言語、文化的歴史そして伝統を基礎として有機的に育てられた社会的序列が、人間の本質だと信じている人々に対する宣戦布告である」「バラク・オバマは、この宣戦布告を、厚かましいくらい輝く笑顔の背後に隠しているのだ」と主張した。ドイツでオバマに対して支持が広がっていることについては「アフリカの伝染病に似ている」とした。 フォークトは、様々な白人至上主義の指導者、2009年にアメリカの政治家デビッド・デューク(en:David Duke)との会談を行っている。ウド・パステルス(de:Udo Pastörs)は、2008年の南オセチア紛争におけるロシアの見解をNPDとして支持すると述べた。 2009年にはメクレンブルク=フォアポンメルン州のポーランド国境に近いユッカー=ランドー郡で、「ポーランド人の侵略を阻止せよ」と書かれたプラカードを立て、当局に撤去されている。党は撤去の不当を訴えて提訴し、下級審では認められたが上級審で「人の尊厳を傷つけ、治安を乱すものである」と判示され敗訴した。
※この「反米・人種主義」の解説は、「ドイツ国家民主党」の解説の一部です。
「反米・人種主義」を含む「ドイツ国家民主党」の記事については、「ドイツ国家民主党」の概要を参照ください。
- 反米・人種主義のページへのリンク