2008年の南オセチア紛争
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「ホワイトタイツ」の記事における「2008年の南オセチア紛争」の解説
2008年11月、ロシア連邦捜査委員会のトップであるアレクサンドル・バストリキンは、バルト系の傭兵には、2008年の南オセチア紛争ではジョージア側で参戦した者がいると述べており、その中にはラトビア人の女性スナイパーが存在することを示唆したことがある。紛争の初期には、ロシア・トゥデイ紙が南オセチアの情報筋の発言を報じており、いわく「街区〔ツヒンヴァリ〕で展開中の女性スナイパーの集団がおり」、「彼女たちが拘束した捕虜にはウクライナ人やバルト三国の市民も含まれている」。こうした報道は、コーカサスで活躍したというホワイトタイツの伝説を復活させるに等しかった。ラトビア防衛省の報道官アイリス・リクヴェリスは、バストリキンの発言について「ホワイトタイツという亡霊の噂は、ロシアの報道機関においてはすでに絶えて久しいと考えていたが、いまだロシア中に出回っていたとは」と否定的に発言している。
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