カラー革命と民主化運動の脅威
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 23:27 UTC 版)
「ロシア・ウクライナ危機 (2021年-2022年)」の記事における「カラー革命と民主化運動の脅威」の解説
1991年にソ連から独立したジョージア (グルジア)は2003年のバラ革命後は親欧米路線を採り、EUとNATO加盟を目標としてきた。南オセチアとアブハジアはジョージアからの分離独立を求めていたが、2008年の南オセチア紛争でジョージア軍と南オセチア軍が衝突すると、ロシアが軍事介入し、同時に南オセチア及びアブハジアの独立を承認した。プーチンは武力によって欧米の旧ソ連圏への影響力拡大に抵抗した。 ウクライナでは2004年に親欧米派によるオレンジ革命が起きた。バラ革命やオレンジ革命などの民主化運動はカラー革命と呼ばれた。プーチンはカラー革命をロシアの復活を望まないアメリカとヨーロッパの陰謀であるとみなす。 ロシア国内でも、2011年から2012年にかけて民主化運動の波が押し寄せ、反プーチン運動が拡大したが弾圧した。2017年に政治運動家アレクセイ・ナワリヌイがメドヴェージェフ首相の蓄財を告発すると、7000人〜8000人が参加した抗議デモが発生したが、ナワリヌイらデモ参加者1000人が逮捕された。2020年にナワリヌイは毒を盛られたが一命をとりとめたが、2021年に収監された。収監直後、ナワリヌイグループは黒海リゾート地にある1400億円相当の豪邸を「プーチン宮殿」だとして暴露した。2021年1月23日のナワリヌイ釈放デモでは3000人以上が拘束され、プーチンは抗議デモは違法であり、抗議を通して「政治における自分たちの野心的な目標や目的」を推進しようとすべきではないとロシア国民に警告した。 2020年にはベラルーシでも大規模な抗議デモが発生し、女性が花をもって抗議した。プーチン政権にとってこうしたカラー革命などの民主化運動は、自身の権力基盤を崩壊させることにつながる危険を持つものとして脅威とみなされている。
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