2008年の動乱
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「ダライ・ラマ14世」の記事における「2008年の動乱」の解説
2008年3月15日、中華人民共和国チベット自治区ラサ市でチベット族が漢族を襲撃し、暴徒化したチベット族が商店を略奪・放火する暴動が発生、治安当局が催涙弾等で制圧した。 「2008年のチベット動乱」を参照 第6代国務院総理温家宝は、「暴動はダライ・ラマ14世の組織的な煽動によるものだ」と非難し、ダライ・ラマ14世に対して「チベット独立を放棄し、台湾(中華民国)を不可分の中華人民共和国の領土と認めること」を条件に中華人民共和国国務院とダライ・ラマ14世との平和的な対話を呼びかけた。 これに対してダライ・ラマ14世は、暴動が自身の策動によるとの国務院の見解を否定し、事態を収拾できなくなった場合はガンデンポタン(チベット亡命政府)の最高指導者の地位を辞任することも表明するとともに、中華人民共和国国務院との平和的な対話再開に前向きな姿勢を示している。 この動乱における中国共産党によるチベットでの処置について、ダライ・ラマ14世は「文化の大虐殺(en:cultural genocide)に等しい」と述べた。
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