反知性主義とされるもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 06:36 UTC 版)
「反知性主義」の記事における「反知性主義とされるもの」の解説
そもそもキリスト教は、その発祥当初から反知性主義的な思想を持った宗教であった。イエスは、当時のイスラエルで権威を振るった知識人であるファリサイ派の律法主義を厳しく批判し、病人や羊飼い、徴税人のように当時のユダヤ人社会では蔑まれた人たちと共にいた。 保守的キリスト教徒の間では、人間の知識は限界のあるものであり、万能ではないとする考え方も共有されている。また、進化論に反対するキリスト教原理主義を批判するに当たってこの言葉が用いられることがある。 アメリカの民主主義が「すべての人は平等に創られた」という独立宣言から出発しているため、『ごく普通の市民が(キリスト教的倫理に基づく)道徳的な能力を持っているという平等論がある。その素朴な道徳的感覚は人間に共通に与えられており、高度な教育を受けなくても、誰もが自然に発揮できるとの思想が生まれ、それが民主主義を「衆愚政治」ではなく、特権階級による権力の独占を防ぐ効用があると信じる力となっているとされる。 ホフスタッターの『アメリカの反知性主義』を基に、より原義に近い意味での反知性主義を日本人向けに説明した森本あんりは、日本において反知性主義的な人物像を持つものを挙げるとするなら、「フーテンの寅さん」、「空海、親鸞、日蓮などの革命的仏教者」、「堀江貴文や孫正義のような型破り企業家」としつつ、「なかなか適切な人物像が見当たらない」としている。また、反知性主義を成立させる必要な要素として、小中高と森本の同級生だったコラムニストの小田嶋隆を例に挙げ「批判すべき当の秩序とはどこか別のところに自分の足場」があり、それが反知性主義を成り立たせるとした。森本の論説について冷泉彰彦は、森本が日本人向けに説明しているという点と、森本の専門がプロテスタントの神学者であることから、間違いではないが、扱う内容の軽重にホフスタッターの原典とはズレがあると指摘している。 福間良明は、第二次世界大戦後の日本において勤労青少年向けに発行された人生雑誌には、知へのあこがれとエリート知識人への憎悪という一見矛盾するスタンス、いわば「反知性主義的知性主義」があったと指摘している。 1970年代に国家規模で知識人層の絶滅政策を行ったカンボジアのポル・ポト政権は反知性主義の最も極端な例とされる。毛沢東の文化大革命も大学教育の完全否定を行った点で、反知性主義とみなせる。金日成の主体思想にも「職業選択の自由は全くなくてよい」という概念があり、毛沢東やポルポト政権下の思想と酷似している。
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