博覧会とのかかわりとは? わかりやすく解説

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博覧会とのかかわり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 03:07 UTC 版)

田中友幸」の記事における「博覧会とのかかわり」の解説

1967年1月大阪万博向けて三菱万国博綜合委員会寺尾一郎委員長から三菱パビリオンプロデューサー就任求められる基本出展構想を練るために起案メンバー未来志向福島正実星新一矢野徹真鍋博起用する同年三菱館のテーマ日本自然と日本人の夢」に決まる。館名を「三菱未来館」とし、明解メッセージ発信するプロローグエピローグ歩行動線、全室映像包み込まれ日本自然と50年後の日本「空」「海」「陸」の未来ゾーンは、動く歩道強制動線とする。田中プロデューサー意図する展示分かりやすさと臨場感見事に観客伝わったEXPO'70では人気ベストスリーとなり、三菱未来館は1,142万人動員を誇る。 1971年1月8日東宝三菱商事三菱地所出資により日本創造企画株式会社東京都千代田区丸の内)を設立し田中友幸創業社長となる。時代先取りするレジャー」、「教育環境」、「流通」の企画制作営業とする。特に博覧会部門は「沖縄海洋博」、「ポートピア'81」、「科学万博つくば'85」では三菱未来館総合プロデューサー歴任する田中友幸博覧会への信条は、掲げたテーマ分かりやすく具現化し、動員数高めるため駆動装置ライド)を導入することであった海洋博では高低差のあるムービングシート1周140m、ポートピア'81では直径28m回転劇場/ラウンドロード、科学万博ではモーションコントロール・カー1周160m16車両による強制動線採用する三菱グループ企業のうちの三菱重工業ハード技術博覧会活用させるそれぞれの博覧会では、「海の資源展開する海洋博」、「宇宙から深海までの生活に及ぼす事象ポートピア'81」、「生命の起源から宇宙開発を巡る科学万博」の複合展示採用した映画人田中友幸にとっての博覧会徹底したライブ感を持続していた。博覧会開幕してもパビリオンに入ると展示の手直し要求する博覧会展示生き物である。その持論は止む時がなかった。反面映画違い一発勝負博覧会である、と。その怖さ身をもって体験されていた。 日本創造企画では、取締役社長21年間、取締役会長5年務める。株式会社東宝映画プロデューサーの中、イベント会社持ち多角的に活動した者は珍しい。田中友幸かねがね一発勝負仕事さりながら継続性のあることに専念せよと唱えていた。日本創造企画出資会社三菱地所から横浜みなとみらい21地区横浜ランドマークタワー展望フロアスカイガーデン」などの集客施設の運営業務に携り、田中友幸の提唱応えている。

※この「博覧会とのかかわり」の解説は、「田中友幸」の解説の一部です。
「博覧会とのかかわり」を含む「田中友幸」の記事については、「田中友幸」の概要を参照ください。

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