博覧会 - 帝国主義の視線 -
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 04:07 UTC 版)
「人類館事件」の記事における「博覧会 - 帝国主義の視線 -」の解説
19世紀半ばから20世紀初頭における博覧会は「帝国主義の巨大なディスプレイ装置」であったといわれる。博覧会は元々その開催国の国力を誇示するという性格を有していたが、帝国主義列強の植民地支配が拡大すると、その支配領域の広大さを内外に示すために様々な物品が集められ展示されるようになる。生きた植民地住民の展示もその延長上にあった。 人間そのものの展示が博覧会に登場したのは、1889年のパリ万国博覧会である。欧米での万博では日本人を展示品とした日本人村もあった。パリ万博では展示役を務めた芸者に一目惚れした青年がプロポーズを申し出たり、着物を譲って欲しいと願い出た女性の存在の記録もあった。
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