加治田城攻城戦とは? わかりやすく解説

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加治田城攻城戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/05 02:04 UTC 版)

関・加治田合戦」の記事における「加治田城攻城戦」の解説

加治田方は、弓・鉄砲の者1,000人を二手にわけ、加治田城西大手口絹丸は斎藤利治佐藤忠能嫡子忠康の両大将固め、裏の東北は忠能が守備した長井勢は一丸となって、絹丸の捨堀(現在の丸橋北方)に押し寄せた。ここで戦闘になる中、忠康は馬に乗って指揮とっていたが、敵の矢をうけ討死し、加治田方の旗色悪くなった。その時加治田勢より、湯浅讃岐名乗り挙げ奮って長井勢に駆け入り突き崩して肥田瀬川端津保川)まで追いつめて加治田方を勝利導いた。戦の後、斎藤利治戦功賞して自分の名(新五)の一字与え湯浅新六と名乗らせ、賞として刀を与えた。 東からは、洞峠を越えて肥田忠政押し寄せた佐藤忠能川浦川辺り戦闘となる。関軍が戦に負け引退くと、佐藤忠能が自ら真っ先進みで4、5戦い肥田勢い川浦川天然の堀にて追い返し加治田城東北からも勝利する。(この合戦南北山城軍記では、肥田忠政討死したと記載があるが影武者可能性が高いと考えられる。)

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加治田城攻城戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 09:13 UTC 版)

加治田・兼山合戦」の記事における「加治田城攻城戦」の解説

7月4日斎藤軍は利堯を総大将として決戦する事となり、加治田城本丸山頂には拠らず、麓の上屋敷屋敷城を利堯本陣として軍を迎え撃つ作戦決め、東の山に家老長沼三徳守備する三徳、西の山には西村治郎兵衛守備する砦で本陣囲み川浦川天然の堀として三徳嫡子長沼藤治兵衛守備させ、東の白華山清水寺口には白江権左衛門、西の絹丸捨堀には湯浅新六などを配置して総勢1,700余人防備固めた。 これに対し森長可は、夕田から滝田出て川浦川対岸檜山本陣置いた推定され全軍中央突破をすると同時に三徳川浦川までおびき出す作戦をとった。長可がまず真屋新助らの率い500余人別働隊を、上町対岸から強行渡河させると、藤治兵衛の兵100余人が山を下りて川岸進撃し、それに呼応して利堯本隊300余人合流した軍は次に林為忠らの率い500余人本隊先陣渡河し、三徳の陣に進撃した激戦になる中、長可が陣頭立って川に馬を乗り入れ本隊下流渡河成功した軍は藤治兵衛部隊全軍攻撃し長沼勢は支えきれずに三徳押され城下町軍の放火により燃え広がった両軍必死激戦が行なわれ、斎藤軍は混乱に陥り、藤治兵衛は黒の駒に打ち乗って諸卒を励ましながら防戦していたが、軍の放った銃丸胸板打ち抜かれ落馬し郎党かかえられ三徳運ばれる絶命した。しかし、大将の利堯が各所分かれている部隊本陣集め軍を囲むように攻め立てると、優勢だった軍は次第川向こう押し返された。 ここで、『堂洞軍記によれば斎藤軍より直井太郎左衛門一騎討ち呼びかけると、軍の真屋新助がそれに応え戦いの末直井真屋の首を取ったという。こうして前半軍が勝っていた合戦は、後半になって斎藤軍が盛り返し引き分けとなって軍は落合衛門殿軍として引き上げたとされる一方斎藤軍が兵を分散した作戦は全くの失敗で、軍に中央突破されたため惨敗して全軍散乱三徳攻略本城陥落値するもので、軍は兵のいない空虚な本城攻撃する要はなく、勝鬨挙げて凱旋したという見方もある。 他の軍記物では、斎藤軍が盛返し軍が本陣堂洞城跡へ引返し、軍を集めている所へ斎藤諸将三方より攻上げ軍は南の谷へ崩れ落ち、戦うこと三度軍は多く討たれ金山へ軍を引き、斎藤軍(加治田衆勝軍との記録がある。

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