子孫・逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/20 01:29 UTC 版)
加治田・兼山合戦では、本丸御殿を囲むように西櫓砦には西村治郎兵衛、東櫓には堅固な三徳櫓を築き、長沼三徳自身が守備し、森勢を一点に引き受け、治郎との連携により撃退し、加治田城攻城戦に勝利した。七曲の戦いにおいては、後見役として斎藤義興と斎藤市郎左衛門と共に一緒に戦い、最後は斎藤兄弟の盾となった。 長沼家はその後、次男の彩雲が跡を継いで、加治田で庄屋などの村役を務めた。現在でも加治田城下町に長沼家子孫が続いている。 旧屋敷は同地の新町白山神社の西にあったと言われ、裏山に三徳岩と称する大岩がある。 森可成は嫡男の長沼藤治兵衛を大のお気に入りで碧松院の婿養子として何度も頼み込んだが、三徳は断り続けたのは、信長からの縁付の命があった。
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