斎藤市郎左衛門とは? わかりやすく解説

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斎藤市郎左衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/06/08 05:48 UTC 版)

斎藤 市郎左衛門(生没年不詳)は、美濃国加治田(現在の岐阜県加茂郡富加町加治田)出身の武将。通称、市右衛門、兵左衛門。斎宮と号す。祖父は斎藤道三、父、斎藤利治、母、佐藤忠能娘、兄斎藤義興[1]

生涯

加治田城主である父の利治が本能寺の変で主君信忠を追って討死し、利治の兄利堯加治田・兼山合戦のしばらく後に病死して、加治田は森長可の領地とり城も廃城となったため、城下の絹丸捨堀に隠棲していた元家老の長沼三徳によって養われ、成人まで成長した。その後、岐阜城織田秀信に仕える[2]慶長5年8月23日、関ヶ原の戦いの前哨戦の岐阜城の戦いに於いて、兄義興、三徳と共に戦うが、三徳は戦死。義興は負傷し、関の梅龍寺で養生後、池田輝政に仕えた。市郎左衛門は北山へ逃れ、後に松平直基に仕えた[3]

人物

  • 斎藤利治の子の市右衛門は斎宮と号し、斎藤徳元と同一人物との資料もある[4]

脚注

  1. ^ 富加町史編集委員会 「佐藤氏系譜」『富加町史』下巻 通史編、岐阜県加茂郡富加町1980年、209頁。
  2. ^ 富加町史編集委員会 「家老長沼三徳」『富加町史』下巻 通史編、富加町、1980年、244 - 245頁。
  3. ^ 富加町史編集委員会 「軍記物 南北山城軍記」『富加町史』下巻 通史編、富加町、1980年、739頁。
  4. ^ 富加町史編集委員会 「家老新五の最期」『富加町史』上巻、富加町、1980年、233頁。

参考文献

  • 南北山城軍記

関連項目

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