子孫同士の再会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 05:06 UTC 版)
1980年代になり、園田学園女子大学教授の田辺眞人がニュージーランド国内の電話帳を調べ、朝次郎の次男であるマーティンとコンタクトをとることに成功した。マーティンは当時92歳で、オークランド市内の病院に入院していたが、田辺はマーティンから話を聞いた結果、朝次郎の出身地を熊本県の天草諸島であることを突き止めた。田辺は更に日本でも調査を行い、朝次郎の親戚が日本で健在であることも確認した。 そのため、1990年(平成2年)11月に日本オセアニア交流協会の協力のもと、朝次郎の孫のトーマス・ノダ(Thomas Noda)とその長女のシェリル・トンプソン(Sheryl Thompson)が訪日し、長崎と天草下島の苓北町を訪問した。2人の来日は11月14日付の熊本日日新聞でも大々的に報じられ、朝次郎の甥である野田千次郎をはじめとした親族と対面した。2人は滞在中の4日間、苓北町の野田家に滞在して、町役場の訪問や周辺の観光、先祖の墓参りをして過ごした。 なお、朝次郎の子孫は現在も500人ほどがニュージーランド、オーストラリア、ハワイ諸島に住んでいる。
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