創設と初期の活動とは? わかりやすく解説

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創設と初期の活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 01:01 UTC 版)

テンプル騎士団」の記事における「創設と初期の活動」の解説

テンプル騎士団歴史第1回十字軍成功さかのぼる。第1回十字軍聖地占領成功したものの、十字軍参加者の殆どは聖地奪還満足して帰国してしまい、中東地域残されキリスト教勢力十字軍国家)は慢性的な兵力不足に直面した。この事に憂慮して聖地守護唱えたフランス貴族、ユーグ・ド・パイヤン(英語版)のもとに9人の騎士たちが集まり聖地への巡礼者保護するという目的活動開始し、すでに活動していた聖ヨハネ騎士団修道会の例にならって聖アウグスチノ修道会会則守って生活するという誓い立てたエルサレム王国ボードゥアン2世は彼らの宿舎用地として神殿の丘与えた神殿の丘にはもともとソロモン王つくったエルサレム神殿があったという伝承があった。このことから会の名称「テンプル騎士団」が生まれることになる。 ユーグ・ド・パイヤンは、自分たちのグループヨハネ騎士団のような騎士修道会として認可されたいと願い当時宗教界大物であったクレルヴォーのベルナルドゥス会則作成教皇庁へのとりなし依頼したベルナルドゥス尽力甲斐あって1128年1月13日フランストロア行われた教会会議において、教皇ホノリウス2世テンプル騎士団騎士修道会として認可した当時ヨーロッパ貴族の間では聖地維持のためになんらかの貢献をしたいという意見多かったため、テンプル騎士団フランス王をはじめ多く王侯貴族寄進得て入会者も増えた1139年教皇インノケンティウス2世テンプル騎士団国境通過の自由、課税禁止教皇以外の君主司教への服従義務免除など多く特権付与したことが、その勢力拡大する契機となったテンプル騎士団1147年第2回十字軍に際してフランスルイ7世助けて奮闘したため、十字軍終了後ルイ7世騎士団パリ郊外広大な土地寄贈した。ここにテンプル騎士団西欧における拠点建設された。この支部壮麗な居館のまわり城壁めぐらした城砦に近いもので、教皇外国君主フランス訪れる際には宿舎となり、王室財宝通貨保管まで任されるようになった1163年には教皇アレクサンデル3世が自らの選出際し尽力したテンプル騎士団報いる形で回勅 Omne Datum Optium を出して修道会財産聖座による保護司教からの独立などの特権賦与したテンプル騎士団騎士たちの強さ勇敢さ伝説的なものであった。特に1177年モンジザールの戦いサラーフッディーン率いイスラーム軍を撃退しフランスフィリップ2世イングランドリチャード1世獅子心王)とも共闘した。イベリア半島でも対ムスリム勢力戦に従事して、その勇名不動のものとした。 しかし、数々特権受けて肥大化していく騎士団対し地域司教たちやほかの修道会からの批判の声聞かれるようになったそれだけでなく、後述するように一切課税免除され自前艦隊まで有して商業活動金融活動行っていた騎士団は、商人製造業者たちの敵意を受けるようになっていった。

※この「創設と初期の活動」の解説は、「テンプル騎士団」の解説の一部です。
「創設と初期の活動」を含む「テンプル騎士団」の記事については、「テンプル騎士団」の概要を参照ください。

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