創設と初期
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「コロンバス (ネブラスカ州)」の記事における「創設と初期」の解説
1856年5月28日、オハイオ州コロンバス出身者を中心とするコロンバス・タウン・カンパニーによって、大陸横断鉄道の予定ルート上にあったこの地に、コロンバスの町が創設された。コロンバスの町のすぐ西には、1855年にネブラスカ準州会からループ川での渡し船の運航を認可された、ジェームズ・C・ミッチェル率いるエルクホーン・アンド・ループ・ブリッジ・アンド・フェリー・カンパニーが、ポーニーという名の町を創設した。やがて1856年11月、コロンバス・タウン・カンパニーとコロンバス・タウン・カンパニーは統合された。 創設当初は、コロンバスの町域にあたる土地はまだポーニー族のものであった。しかし、翌1857年、ポーニー族はその後ナンス郡となった土地に創設された居留地を除く、ネブラスカ州内の土地をすべて放棄するという条約に調印した。 1858年、プラット郡議会はコロンバスの町制施行法案を可決した。この時の人口はわずか16人であった。町制施行からほどなくして、コロンバスにはプラット郡の郡庁が置かれた。同年、陸軍の勧めで、ループ川の渡し船が運航を開始した。後世の文書によると、ミッチェルの会社は渡し船を運航する権利は得たものの、実際の運航には失敗したようであった。
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創設と初期
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「ノーフォーク (ネブラスカ州)」の記事における「創設と初期」の解説
1865年、ホームステッド法の下で獲得できる、生産性が高く、安価な農地を求めて、ウィスコンシン州南東部、イクソニアの近くに創られたドイツ系ルーテル教会徒の入植地から、3人の斥候がこの地に送られてきた。斥候たちはオマハ周辺からウェストポイントまでエルクホーン川を遡ったが、その周辺には多くの入植者が住み着いていたので、さらにエルクホーン川を遡った。同年9月15日、斥候たちはエルクホーン川の北支流が本流に合流するこの地にたどり着き、この地に入植地を創設することに決めた。翌1866年5月23日、42家族、124人が馬車3隊に分かれて北東ネブラスカを 目指し、イクソニアを発った。同年7月15日、この第1陣の入植者はこの地に到着した。翌1867年7月には、ウィスコンシンからの第2陣の入植者がこの地に到着した。 入植地の名の起源は「北支流」(North Fork)にあるとは考えられているものの、その正確な名については、"Northfork"、"Nor'fork"、"Nordfork" と諸説ある。その名は連邦郵政局に提出されたが、その過程のどこかで "Norfolk" に変わった。その後も現在に至るまで、多くのネブラスカ州民は "Norfork" という発音を用いている。 ノーフォークには1867年に郡庁が置かれたが、1875年に行われた住民投票で郡庁所在地が変えられた。この時、わずか45人の有権者しかいなかったノーフォークは第一次投票で敗れた。その後の決選投票では、マディソンがバトルクリークを破って郡庁所在地に選出された。
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