創設と役割とは? わかりやすく解説

創設と役割

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 00:58 UTC 版)

国防軍最高司令部 (ドイツ)」の記事における「創設と役割」の解説

ヴァイマル共和国においては国防軍(Reichswehr:1935年ドイツ再軍備宣言時に「Wehrmacht」に改称)の最高指揮権大統領有し大統領負託受けて国防大臣 (Reichswehrminister) が国防軍直接指揮していた。1934年パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領死去した後、ヒトラー首相職大統領職兼務し国防軍の最高指揮権手に入れた。しかし、ヒトラー戦争をも辞さない自らの強引な外交政策異を唱える国防軍上層部存在を疎ましく思い1938年2月スキャンダル理由ブロンベルク国防大臣フリッチュ陸軍総司令官失脚させた(ブロンベルク罷免事件)。 1938年2月4日ヒトラーは「以後自身直接国防三軍指揮する」と宣言後任国防大臣任命せず、国防省国防軍局(Wehrmachtamt)を発展的解消させて国防軍最高司令部設置新組織のトップヴィルヘルム・カイテル大将任じた。この職位国防軍最高司令部総長Chef des Oberkommandos der Wehrmacht)と呼ばれ形式的に国務大臣同位であるが、従来の意味国防大臣ではなく軍事指揮権持たない事務職であった戦争指導最終的な決裁は、国防軍最高司令官であるヒトラー国防軍最高司令部総長陸軍総司令官海軍総司令官空軍総司令官親衛隊全国指導者外務大臣などが出席する総統大本営行われたカイテルは、この会議では最高司令官であるヒトラー作戦指導異を唱える参謀将校歴戦軍司令官押さえ込む役割演じたカイテルこのため敗戦まで国防軍最高司令部総長地位留まることができた。 国防軍最高司令部本部は、1939年第二次世界大戦直前ベルリンの南 24km のヴュンスドルフ (Wünsdorf) に完成した巨大な地下施設秘匿名称:Maybach II)に移されたが、第二次世界大戦開戦後ヒトラー前線近く指揮所を設けたので、ヒトラー滞在するところすべてが、「野戦移動国防軍最高司令部となったベルリン総統官邸ベルヒテスガーデン山荘ベルクホーフ)、オストプロイセン深い森中に建設されヴォルフスシャンツェ等がそうである。 なお、この機関ヒトラーのもとでの役割正確に伝えるためには、字義通りの「国防軍最高司令部」よりも「統合参謀本部(英Combined General Staff)」と訳したほうが良い、という説がある。

※この「創設と役割」の解説は、「国防軍最高司令部 (ドイツ)」の解説の一部です。
「創設と役割」を含む「国防軍最高司令部 (ドイツ)」の記事については、「国防軍最高司令部 (ドイツ)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「創設と役割」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「創設と役割」の関連用語

創設と役割のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



創設と役割のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの国防軍最高司令部 (ドイツ) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS