創設と党の立場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 09:43 UTC 版)
「中央党 (ドイツ)」の記事における「創設と党の立場」の解説
1870年12月13日にプロイセン王国議会の議員48名により創設された。ドイツ帝国成立後の新しい帝国議会においては1871年3月3日に議員63名により結成された。構成員は大多数がカトリックであり、カトリック政党の側面が強かったが、創設当初から少数ながらプロテスタントもおり、綱領の上では宗教的自由を擁護する政党とされているだけでどの宗派を擁護するとは書いていなかった。とはいえ実質的には自由主義の反カトリック攻勢に対抗してカトリック教会を守り、カトリック住民の利益を代弁するために創設された党だった。 なお党名の「中央(Zentrum)」とは、保守派と自由主義派の中間に立つという意味だった。その名の通り帝政期の中央党は与党と野党の間で揺れ動くことが多かったため「機会主義政党」とも呼ばれた。 そのような立場に立ったのは第一に中央党がカトリックという一点のみを共通項として団結している党であり、党員には企業家や大土地所有者から手工業者、農民、労働者まで諸階層があったためである。そのため同党はその時々の政治情勢に応じてどの階層に重点を置くかで政治的立場を変化させた。第二にプロテスタント国家プロイセンを中枢とするドイツ帝国においてカトリックは劣位に置かれる存在であり、文化闘争期には激しい迫害にも晒されたので、体制批判的な姿勢を取らざるを得なかったが、同時にだからこそ体制支持の姿勢を示すことでカトリックのハンディキャップを埋める必要があったことである。 思想面でも中央党は自由主義と保守主義の混合物だった。国家の不必要な干渉に反対し個人・少数派の権利を擁護しようとする点では中央党は自由主義であった。自由主義的な立憲主義には当初反対したものの、後には立憲主義が多数派に抗して少数派を保護することに役立つことに気づいて立憲主義を擁護するようになった。他方でカトリックの生活信条は伝統と権威に根差す物であり、特にドイツ・カトリックの場合はロマン主義と結びついていた。ロマン主義は本質的に保守主義であり、近代合理主義に対して保守的反逆を行った。中央党は反ブルジョワ的な高度資本主義に敵対する見解も有したが、その視角もあくまで中世主義と宗教の精神的性格という伝統主義にあった。このように中央党は相いれない諸要素や諸潮流を併せ持つ多元的・多面的であると同時に異質的な党であり、しかし政党であるためにこれらを調和・均衡させようとした。左右の均衡を保ちながら左右両方の投票者を吸収し、カトリック教会の利害の下に統一させようとする政党だったといえる。
※この「創設と党の立場」の解説は、「中央党 (ドイツ)」の解説の一部です。
「創設と党の立場」を含む「中央党 (ドイツ)」の記事については、「中央党 (ドイツ)」の概要を参照ください。
- 創設と党の立場のページへのリンク