創設とアラファートの加入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 20:31 UTC 版)
「パレスチナ解放機構」の記事における「創設とアラファートの加入」の解説
1964年1月にエジプトでアラブ連盟が開催した第一回アラブ首脳会議で設立され、イスラエル建国で難民となったパレスチナ人の対イスラエル闘争の統合組織となり、反イスラエルの中心勢力となった。1967年の第三次中東戦争がアラブ諸国側の敗北に終わると、ヨルダンで反イスラエル闘争を行って越境攻撃を撃退するなどの大きな戦果をあげてパレスチナ人の間に名声を集めていたファタハが影響力を高めた。1969年2月、エジプトのナセル大統領はファタハの指導者であるヤーセル・アラファートにパレスチナ問題の全権を委任して第三次中東戦争でイスラエルに奪われたヨルダン川西岸とガザ地区で構成された独立国家を目指すことを助言し、アラファートはPLOの第3代議長に就任してファタハを中心に機構を再整備し、実質上のパレスチナ亡命政府となった。
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