剣戟スタア・市川右太衛門とは? わかりやすく解説

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剣戟スタア・市川右太衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 13:36 UTC 版)

市川右太衛門」の記事における「剣戟スタア・市川右太衛門」の解説

右太衛門尾上松之助以来歌舞伎所作美しさ若々しく流麗にテンポアップしてみせ、千恵蔵や嵐長三郎とともにマキノ黄金時代」を創った。マキノ雅弘は右太衛門殺陣について、「初めからうまかった踊りうまかったんですね。狭い部屋立ち回りなんか、彼が一番うまかったんじゃないかな」、「立ち回りがうまい、ちゅうよカッコよかったですね。その(華麗である)かわり、リアルさがない」と述べている。 右太衛門編み出した「諸羽流青眼くずし」の型は、狭い室内での立ち回り考慮したのだった。『旗本退屈男』の第一作室内立ち回りであり、右太衛門はその狭い空間自由自在に踊ってみせる。隣の部屋移っていくとき、わずかに膝を開くと切先は実に1センチ間合い鴨居すり抜けていくのである目線そのまま次の殺陣備えて諸羽流青眼くずし、“所作事”の約束でいうなら「道行き」、「踊り地」、「ちらし」と“序破急”のテンポ踏んで颯爽と闊達立ち回る映画デビュー作である『黒髪地獄』の浪人役の立ち回りはかなり派手なのだった。この映画では、舞台時代の右太衛門知っている人が殺陣師付いて、右太衛門本人いわく「手数の多い立ち回り」を見せたのだという。当時活動写真では普通、十手くらいだった動きを、これがデビューの右太衛門は同じ時間内にその倍の二十手動いてみせた。 1927年6月、右太衛門マキノプロ脱退して右太プロ設立する。このマキノ脱退いきさつについて、右太衛門次のように語っている。 「マキノ約束通り一年いて独立計画進めたが、『影法師』の後篇御礼奉公一本無給撮って去ったマキノ方から荒虎が戻れ交渉に来、こちらは笹川良一友人大阪北野親分相手に立ち、話し合った。『三年契約すれば五万無条件前渡しする』との申し出があったが結局別袖した。独立動機はいろいろあったが、その一つ契約末に約束ボーナスをくれなかった事もあった。先方忘れていたのか、又こっちも騒ぐ必要はなかったが、私も若かったであろうマキノ省三監督が右太衛門入社の際に口約束で「一万円ボーナスをやる」と言ったのは事実なのだが、「映画スタア一人だけで出来るものではない」とのマキノ持論からすると、右太衛門だけでなく全従業員にも一万円ボーナスを弾まないわけにいかず、これでは個人経営マキノプロ潰れてしまう。マキノ雅弘はこのことについて「言訳ではあるが」と前置きしながら、「その意味ではこれは失言であり、破約でもあった」と語っている。 また「三年契約すれば五万無条件前渡しする」との言は確かで、「映画契約世界だから、それは当然のことなのだ。『約束ボーナス』は契約ではなかったことも確認すべき事柄なのだ」とも語っている。 20歳で「右太プロ」を立ち上げた右太衛門だが、若い監督たちに思想色の強いものをかなり持ちこまれ、自身若かったので、いささか押され気味だったという。「若い監督というのは、いつの時代でも同じですなあ」と語っている。 戦時中は『大村益次郎』(森一生監督)、戦後チャンバラ禁止され時代には『ジルバ』(小杉勇監督)で、右太衛門舶来リズム踊って見せている。 「現代劇時代劇両方なくては不自然でしょう現代劇はまずリアルさ要求されますが、時代劇には夢があります時代劇の形を借りてこそ、初め言えることもあるのではないですか」

※この「剣戟スタア・市川右太衛門」の解説は、「市川右太衛門」の解説の一部です。
「剣戟スタア・市川右太衛門」を含む「市川右太衛門」の記事については、「市川右太衛門」の概要を参照ください。

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