前近代の漢学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 08:28 UTC 版)
前近代の日本漢学通史は、町 2017、沖森 2011、倉石 2007、水田 & 頼 1968 等にまとめられている(本項では未参照)。 日本と中国の交流の歴史は長く、それゆえ日本において中国の先進文明・文化(特に漢字・漢文文化や律令などの国家制度)を学びこれを摂取しようとする動きは日中の文化交流が本格化した飛鳥時代の頃(あるいはそれ以前)から始まった。そして儒教(儒学)・仏教を中心とする中国の学問は、古代の貴族政治の時代・中世・近世の武家政治の時代を問わず、政治的・社会的エリートにとって必須の教養であり続けた。このように中国文化を研究・修得しようとする伝統知識人の営為は江戸時代に至って「漢学」として一応の体系化をみた。したがってこの漢学こそが、日本における近代的中国学の直接の源流と見なすことができる。 この時代の漢学は、日本古来の文化・思想を学ぶ国学、科学技術を中心とするヨーロッパの学問を学ぶ蘭学(洋学)とともに当時の学問の三大分野を構成していた。漢学の内容はまず第一に、当時の封建社会を支える道徳思想であった儒学を、とりわけ正統派教学たる朱子学に基づき解釈研究するものであった。しかし時代が下るにつれ、同時代の中国で盛んであった「清朝考証学」と同様、荻生徂徠・伊藤仁斎らの古学に見られるように、儒学思想の歴史的背景である古代中国の社会・文化の実情を、漢文による古典テクストの分析を通じて解明する方向に進んでいった。 また、当時唯一中国との貿易が許されていた長崎において、通訳官であった唐通事を中心に、「唐話」と呼ばれた当代の中国語(文言=伝統的文章語である漢文とは異なる白話=口語的文章語としての中国語)の研究も行われていた(しかしこの動きは、徂徠など一部を除けば、訓読法により漢文テキストを読解していた当時の儒学者からは正当に評価されなかった)。このなかで文語文学(漢文学)だけでなく白話文学の『水滸伝』・『今古奇観』などが翻訳紹介され、当時の文芸に多大な影響を与えた。
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