前近代中国における将軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 23:52 UTC 版)
漢代に於ける将軍は軍の指揮官として必要な時に皇帝により置かれたもので、最上級の大将軍は三公にも匹敵する重職であった。その下に驃騎将軍・衛将軍・車騎将軍があり、その下に上将軍・伏波将軍など臨時に任命される雑号将軍がある。後に戦乱などによって将軍号が増加し、南朝梁の武帝が将軍号を整理した際には12班で合わせて125号に分類整理されたという。唐の時代には、官職としての将軍の他に武散官の称号としての将軍も並存した。北宋では、武散官の称号としてのみ残され、それも神宗の時代に廃されて「大夫」「郎」と改称された。元の時代に武散官の称号として復活し、続く明の時代には総兵官及びその麾下である軍指揮官の官職名としても復活した。清の時代には臨時の官職として大将軍が設置されたことがあるものの、常設官においては総兵官としての将軍の称号は再び廃されて、副将以下の軍指揮官及び駐防八旗兵の司令官の称号として残り近代に至る。
※この「前近代中国における将軍」の解説は、「将軍」の解説の一部です。
「前近代中国における将軍」を含む「将軍」の記事については、「将軍」の概要を参照ください。
- 前近代中国における将軍のページへのリンク