前近代ロシアとは? わかりやすく解説

前近代ロシア(モスクワ大公国─ロシア帝国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 03:16 UTC 版)

皇帝」の記事における「前近代ロシア(モスクワ大公国ロシア帝国)」の解説

15世紀北東ルーシ統一進めつつあったモスクワ大公国イヴァン3世は、それまでビザンツ皇帝に対して用いられていた称号ツァーリ」を自称し始めたツァーリとはラテン語カエサル由来する1453年オスマン帝国によって東ローマ帝国滅ぼされると、イヴァン3世東ローマ帝国最後の皇帝コンスタンティノス11世パレオロゴスの姪ソフィア・パレオローグ1472年結婚し東ローマ帝国紋章双頭の鷲」も使い始めモスクワ東ローマ帝国後継者であることを位置付けた。 その後イヴァン3世の孫イヴァン4世は、1547年ツァーリとしての戴冠式執り行い、「ツァーリ」の称号正式に用いられ始めたこの頃から、モスクワ大公国ロシア・ツァーリ国という名称を用いようになった。 ただし、それ以前ルーシ人々は、モンゴル帝国皇族バトゥ創始したジョチ・ウルス1224年 - 1502年)のハンをも「ツァーリ」と呼んでいた。モスクワ大公の「ツァーリ称号主張は、東ローマ皇帝後継者としての意味合い同時にジョチ・ウルス支配継承意図するものであったと見る説もある。イヴァン4世1576年皇子ツァレーヴィチ当時ロシアの用語例では、ハン血を引くモンゴル系貴族のこと)シメオン・ベクブラトヴィチ一度ツァーリ位を譲った後、再び自身譲位を受けるという行動を取るが、この説に立つ人々は、これをハンツァーリ)の後継者としての宣言であった解釈している。 ピョートル1世1721年西欧式の「インペラートル」の称号用い始め国号正式にロシア帝国としたが、ロシア君主以後も「ツァーリ」の称号併用した。あくまで自称であり、西欧諸国からは皇帝とは認められなかったが、前述通りローマ皇帝後継者皇帝名乗るという建前」が西欧において消滅した頃には、ロシア皇帝東ローマ帝国帝位後継者という意味が忘れ去られ格好で、西欧諸国からも正式に認められるようになった

※この「前近代ロシア(モスクワ大公国─ロシア帝国)」の解説は、「皇帝」の解説の一部です。
「前近代ロシア(モスクワ大公国─ロシア帝国)」を含む「皇帝」の記事については、「皇帝」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「前近代ロシア」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「前近代ロシア」の関連用語

前近代ロシアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



前近代ロシアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの皇帝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS