前近代主義(1902-1922)
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「ブラジル文学」の記事における「前近代主義(1902-1922)」の解説
1900年から1920年にかけて、高踏派や象徴主義に対して批判性を帯びた多様な作家集団が跳梁跋扈した。この時代の混沌とした様子を指して、アルセウ・デ・アモローゾ・リマは学問的分類の観点からこの時代を前近代主義と名付けた。このように名付けられた潮流の中からは、カヌードス戦争(ポルトガル語版、英語版)を取材し、実証主義的、進化論的な観点から政府軍がアントニオ・コンセリェイロ(助言者アントニオ)率いる反乱軍を征服する様子を描いた『奥地(ポルトガル語版、英語版)』(1902,後に英訳されたタイトルでは『奥地の反乱』)を著したエウクリデス・ダ・クーニャ(ポルトガル語版、英語版)や、実験的な論文小説『カナァン』(1902)を書き上げたグラサ・アラーニャ、『ポリカルポ・クアレズマの悲しい最期』(1915)のような風刺的な作品を残したリマ・バレット(ポルトガル語版、英語版)、ブラジル児童文学の傑作や、内陸部のカボクロをそれまでのロマン主義的な美化から離れて粗野に描いた『ウルペース』(1918)などを著したモンテイロ・ロバート(ポルトガル語版、英語版)、『ガウーショ短編集』(1912)などで後にリオグランデ・ド・スル州地方主義文学の創始者とみなされたシモンイス・ロペス・ネト、『影のモノローグ』(1912)などで「汚れた」詩を作り、批評家から酷評されながらも大衆からの支持を集めたアウグスト・ドス・アンジョスなどの名を挙げることができる。
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