前年度優勝チームの連覇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:09 UTC 版)
「都市対抗野球大会」の記事における「前年度優勝チームの連覇」の解説
都市対抗野球の連覇達成の事例は1930年・1931年の東京倶楽部、1938年・1939年の藤倉電線、1946年・1947年の大日本土木、1950年から1952年の全鐘紡(大会記録の3連覇)、1961年・1962年の日本石油の5チームの事例があるのみで、ここ半世紀は連覇が途絶えていた。2012年は前年優勝のJR東日本が50年ぶりの連覇を目前に決勝で敗れている。そのJR東日本を下したJX-ENEOSが2013年、同じ組み合わせで行った決勝を制し、51年ぶりとなる2連覇を決めた(法人の統廃合によりチーム名が変更されているが、同一組織のチームが複数回の連覇を決めたのは史上初の例である)。なお、1940年・1942年も全京城が優勝しているが、連覇とは見なされていない。これは1941年の大会が第二次世界大戦の激化に伴って開催取りやめとなったが、大会の回次(第15回大会)はそのまま残っているため ただし、都市としての連覇(同一チームのみに依るものを除く)は過去には大連市の3連覇(1927年および1929年は満州倶楽部、1928年のみ大連実業団)、1990年以降では1999年・2000年の川崎市の連覇(1999年・東芝、2000年・三菱ふそう川崎)がある。 1996年以前は前年度の大会で優勝したチームは、次年度の大会は推薦枠、即ち予選を免除して自動的に全国大会にコマを進められるシード枠で参加・かつ開幕戦での試合をする権利が与えられたが、補強選手制度が適用できない単独チームでの出場となるため、補強制度を使える他のチームと比べると戦力がやや劣る面も否めなかったことから、なかなか連覇を達成することが出来なかったともいわれている。1975年に前年優勝の白老町・大昭和製紙北海道が決勝に進出したが、惜敗。1990年代に入ると、推薦出場チームの初戦敗退が相次いだ。1951年に2連覇を果たした全鐘紡は、翌年の推薦出場権を得ていたが、「補強選手がいなくては本大会で勝つのは難しい」として敢えて推薦を辞退し、他チームと同様に予選を戦って出場権を獲得、補強選手を得て本大会に臨み、見事3連覇を達成した。事実、この年の橋戸賞は、日本生命から補強された内野手の松井実が受賞している。 1997年からこの前年度優勝チームに対する推薦出場制度は廃止され、他のチーム同様予選を勝ち上がらないと東京ドームの舞台に立てない事になっていた。しかし前述のとおり、2006年度の第77回大会から事実上の推薦出場制度の代りとして、前回優勝チームの所属地域の出場枠を1チーム増やす制度が取り入れられることになり、2010年まで継続した。 2011年の第82回大会から、再び前回優勝チームの推薦出場制度が復活している。
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