判断の理論とは? わかりやすく解説

判断の理論(Theory of judgement)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 14:31 UTC 版)

フランツ・ブレンターノ」の記事における「判断の理論(Theory of judgement)」の解説

判断力批判 」も参照 1874年から1895年にかけて、ブレンターノウィーン大学においてしばしば論理学についての講義行ったブレンターノによれば論理学は「正当な判断についての学説」であり、論理学正しい判断導いていくための手段を教えるという目的によって規定されているものであった現代においてブレンターノの判断の理論は、マイヤー・ヒレブラント女史編集の手による『正当な判断論』(Die Lehre vom richtigen Urteil)を参照することによって知ることができる。 ブレンターノによれば心的現象3つ分類することができる。第一表象作用であり、第二判断作用、そして第三愛・憎であり、論理学対象となるのはこのうち前者表象(独: Vorstellung, 英: representation, presentation)と判断(独: Urteil, 英: judgement)である。デカルト以前においては判断表象は一体であると考えられていたが、ブレンターノはこれは誤りとした。たとえば、「緑色の木」という表象結合と「木は緑である」という判断作用は全く別物であり、表象結合によってはいかなる判断生じないブレンターノは、現在支配的なフレーゲの)見解とは異な判断理論持っていたが、彼の判断理論は、このように表象作用判断作用相違確立しようとした。 前期存在判断還元論) 彼が差し当たってまず問題としたのは、判断理論出発点形成している存在判断についてであり、彼は「あらゆる判断は、それが定言的形式仮言的形式選言的形式のいずれにおいて表されるにしても、意味を少しも変えることなく無主命題形式、あるいは私の言い表しによれば存在命題形式で表わされうる」と、判断形式存在命題形式への還元主張した。なお、ここで「無主命題」=「存在命題といっているのは、非人称の es をとる命題のこと(es gibt, es ist)であり、さらに「無主命題(subjektloser Satz)」という表現は、有名な言語学者フランツ・ミクロシッチから由来するものであったブレンターノ判断考察言語表現とは独立には不可能であるという見地に立ち、あらゆる判断無主命題存在命題形式表そうとしたのであるブレンターノ主張したことは、例えば、アリストテレス以来判断基本形式である、判断定言的形式categorical judgement) S は P である。(S is P.) は、 SP がある。(SP exist.) に言い換えることができ、両命題は「論理学的には」等しい、ということであった。これは、「ある人が病気だ」という命題は、「病気人がいる」というのと同義であり、「すべての人は死ぬものだ」という命題は、「死なない人は存在しない」というのと同義であるということである。 ブレンターノ判断理論中心にあるのは、表象presentation作用判断作用異なるものであるが、判断表象無しに行うことはできない。つまり、判断先んじて表象presentation)がなくてはならないという考えである。ブレンターノは、例えば「火星存在するというときの判断はただ一つ表象を持つ、というように単一表象から生じ判断もあると主張したブレンターノ自身の記法を用いれば判断は常に次の形式を持つ。つまり’+ A'(A が存在) または '- A'(Aは存在しない)。 ブレンターノは、判断作用主観的な表象結合ではなく存在自体にかかわる承認あるいは拒否作用であるとし、しかも存在概念直ち真なるもの概念通じると考え前期見解)、次のように主張した。 「 存在と非存在概念肯定的判断affirmative judgement)と否定的判断denial judgment)との真理概念相関体である。判断には判断されたものが属する。すなわち肯定的判断には肯定的に判断されたものが、否定的判断には否定的に判断されたものが属する。それと同じよう肯定的判断正当性には肯定的に判断されたものの存在属し否定的判断正当性には否定的に判断されたものの非存在属する。そして私が、肯定的判断は真である、あるいはその対象存在していると言うにしても、そしてまた私が、否定的判断は真である、あるいはその対象非存在であると言うにしても両者場合において私は同一のことを言っているのである同じようそれゆえ、私がおのおのの場合において肯定的あるいは否定的判断は真であるか、それともおのおのの対象存在しているか非存在であるかであると言う場合本質的に同一論理的原理存するのである。これに従えば例えば『ある人は学識がある』という判断真理主張は、その対象、すなわち『学識ある人』の存在の主張相関体であり、そして『石には生命がない』という判断真理主張は、その対象、すなわち『生命ある石』の非存在主張相関体である。ここでは相関的主張至るところ不可分に一体である。— Frantz Brentano, Sittl. Erk., S. 60; Wahrheit und Evidenz, S.45 Anm. (小倉(1986) pp.114-115) 」 ブレンターノ判断理論問題は、全ての判断存在論判断であるという考えであるというところではなく(普通の判断存在論的なものに変換するはしばしば非常に困難であるものの)、本当問題は、ブレンターノ対象表象区別を行わなかったというところである。表象はあなたの心の中対象として存在する。したがってあなたは A が存在しない実際に判断することはできないなぜならば、もしかしたらあなたが表象がそこに無いとも判断するかもしれないからである(全ての判断表象として判断される対象を持つというブレンターノ考えによれば、これは不可能である)。カジミェシュ・トヴァルドフスキはこの問題認め対象表象等価であるということ否定することでこの問題解決した。これは実際にブレンターノ知覚の理論変更に過ぎないが、判断の理論においても歓迎すべき結論もたらす。すなわち、(存在する表象を持つことはできるが、同時に対象存在しないという判断もできる。 後期二重判断論)

※この「判断の理論(Theory of judgement)」の解説は、「フランツ・ブレンターノ」の解説の一部です。
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