存在と非存在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 05:49 UTC 版)
アナッター(無我)は生物の性質であり、加えてアニッチャ(無常、非恒常、永遠でないこと)、ドゥッカ(苦、不満足なこと)を加えて仏教の三相をなす。これはダンマパダなど多くの経典で確認される。仏教では四諦を述べ、輪廻を脱する道があると主張する。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}「一切の形成されたもの(行,サンスカーラ)は無常である」(諸行無常)と 明らかな智慧(パンニャー)をもって観るときに、ひとは苦から厭い離れる。これが清浄への道である。「一切の形成されたもの(行)は苦である」(一切皆苦)と 明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦から厭い離れる。これが清浄への道である。「一切の事物(法)は無我である」(諸法非我)と 明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦から厭い離れる。これが清浄への道である。 —パーリ仏典, ダンマパダ,20 Maggavaggo, Sri Lanka Tripitaka Project
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