判例の増加と米国参加への試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 00:17 UTC 版)
「常設国際司法裁判所」の記事における「判例の増加と米国参加への試み」の解説
米国連邦最高裁判所のように、開廷後しばらくの間訴訟が持ち込まれないのではないか、という危惧を持つ者もいたが、常設国際司法裁判所の業務は次第に増加していった。当時は判決(英: judgment)のことを"cases"、勧告的意見(英: advisory opinion)のことを"questions"と表現していた点で現在とは異なるが、裁判所には1922年から1923年の間に9事例の訴訟が持ち込まれた。そのうち3事例が前述のように最初の第一開廷期において処理され、1923年1月8日から2月7日の特別開廷期において1事例(「チュニスとモロッコの国籍法令事件(ドイツ語版)」)、6月15日から9月15日にかけての第二開廷期において4事例(「東部カレリアの地位事件」、「ウィンブルドン号事件」、「ポーランドにおけるドイツ系農民事件」、「ポーランド国籍取得事件」)、11月12日から12月6日の第二特別開廷期において1事例(「Jaworzina事件」)が処理された。1923年3月1日、ルイ・バルボーザはいずれの裁判にも参加することなく死亡し、後継にエピタシオ・ペソア(英語版)が選出された。 翌1924年には、裁判所に持ち込まれた事件は2事例の判決(「マブロマチスのパレスタイン・コンセッション事件(ドイツ語版)」、「ヌイイ条約の解釈事件」)と1事例の勧告的意見(「Saint-Naoum僧院事件」)に減少した。また同年、任期が3年と決められていた裁判長と副裁判長の改選が行われた。9月4日に行われた選挙では、シャルル・アンドレ・ヴェイスが再度副裁判長に選出され、二代目裁判長にはマックス・フーバーが選ばれた。同時に判事の年金制度も考案され、判事は退官後、あるいは65歳になると毎年受け取っていた年俸の30分の1を受け取れることになった。 1925年、裁判所は210日間開廷し、通常開廷期に加えて4度の特別開廷期に3事例の判決と4事例の勧告的意見が下された。最初の判決は「トルコとギリシャの人口交換事件」で、「ヌイイ条約の解釈事件判決の解釈事件」がこれに続き、さらに「マブロマチスのエルサレム・コンセッション事件」と判決が続いた。同年に下された勧告的意見は、「ダンチッヒにおけるポーランドの郵便事務事件」、「総大司教追放事件」、「ローザンヌ条約解釈事件」、「上部シレジアのドイツ人権益事件」の4事例であった。1926年になると裁判所に持ち込まれる事件の数は減少し、通常開廷期と特別開廷期が、それぞれ一度だけ開かれた。この年は11人の判事全員が初めて裁判に出席した年であった。裁判所は判決を1事例、勧告的意見を1事例下した。「上部シレジアのドイツ人権益事件」を再び審理したが、このときは勧告的意見と言うよりも判決に近い形であった。そして前述の国際労働機関についての勧告的意見が、この年ひとつの判例に統合された。 1927年は、前年と比べると裁判所の業務は増加した。6月15日から12月16日まで継続的に開廷し、「ベルギー・中国1865年条約破棄事件」、「ホルジョウ工場事件」「ローチュス号事件」に関する判決と、1925年から引き続く「マブロマチスのエルサレム・コンセッション事件」の判決が下された。勧告的意見は4事例下され、そのうち3事例が「ダニューブ河ヨーロッパ委員会の権能に関する事件」についてのもので、もうひとつは「ダンチッヒ裁判所の権能に関する事件」であった。また、「上部シレジアのドイツ人権益事件」に関して4度命令が下された。この年には選挙も行われ、ディオニシオ・アンジロッティ(英語版)が裁判長、シャルル・アンドレ・ヴェイスが副裁判長に選出された。1928年、副裁判長のヴェイスが死亡し、ジョン・バセット・ムーアが退職したため、9月12日、マックス・フーバーが後継の副裁判長に選出された。また、この年には判事のロバート・フィンレイ(英語版)も死亡したため、裁判所は人員不足に陥った。1929年9月19日、ムーアとフィンレイの欠員を補うための選挙が実施され、アンリ・フロマジョー(英語版)とセシル・ハースト(英語版)が選出された。 1930年9月には選挙がおこなわれ、裁判所は改選された。1931年1月16日、安達峰一郎が裁判長に、ホセ・グスタボ・ゲレーロ(英語版)が副裁判長に任命された。アメリカ合衆国もついに裁判所の管轄権を認めることとなった。1923年からアメリカの参加を主張していたウォレン・ハーディングの主導で、3つの裁判所の議定書に署名が行われた。しかし1930年21月10日、アメリカ合衆国上院に条約の批准案が提出されたが、「差し迫った国内問題」を理由に、批准は延期された。
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