判例と判例集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/13 07:47 UTC 版)
ジャージーの法制度は、イングランドおよびウェールズなどの英米法系法域にあるような厳格な先例拘束性原則には従っていない。。国王裁判所(Royal Court)は、法律上は自身の先行する判断には拘束されないが、一般的にはこれに従っており、例外は、かつての判断が誤ってなされたものとの確信に至った場合である。同様のアプローチは控訴裁判所(Court of Appeal)においても採用されている。もっとも、全てのジャージーの裁判所は、先行するジャージーからの上訴に関して枢密院司法委員会が判断した法的な点には拘束される。 19世紀と20世紀の間に、判決の書き方と公表の制度について一連の改善がなされてきた。1885年には国王裁判所はTables des Décisions de la Cour Royal de Jersey(ジャージー国王裁判所判決一覧)を刊行し始めた。これは判決のあった事件の件名索引であり、書記官(the Greffier)によって作成された。 1950年、C・T・ル・ケスネ勅選弁護士(C.T. Le Quesne KC)が、イングランドおよびウェールズにおけるバリスター業務を辞してジャージーに戻り、代官代理(Lieutenant Bailiff)に任じられた。この時点まで、国王裁判所の判決は、フランスのjugements motivés様式により、フランス語で、裁判官ではなく書記官(Greffier)により書かれており、さらに、裁判所の判断の理由についてはごく簡潔にしか書かれていなかった。ル・ケスネは判決の言語を英語に変更し、コモン・ローの判決様式を採用し、この様式により、裁判官は、弁護士が法廷において戦わせた議論を認めまたは認めなかった詳細な理由を述べることとなった。1950年と1984年との間には、国王裁判所は、Jersey Judgmentsという題する同裁判所および控訴裁判所の判例集のシリーズ(全11巻)を公刊した。1984年からは、判決はJersey Law Reportsと題する新たなシリーズの判例集によって公刊されている。 2004年、ジャージー法律情報板(JLIB)が、「情報技術を通じた、またはその他の手段による、成文法および法的手続の公衆に対するアクセシビリティならびに統合された効率的な法制度」を推進するため、設置された。国王裁判所および控訴裁判所の判決は、www.jerseylaw.jeにおいてオンラインで公開されており、フリー・アクセス・ツー・ロー運動の一環として判例集未掲載の判決にもアクセス可能である。
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