出口なおとの出会いとは? わかりやすく解説

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出口なおとの出会い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:41 UTC 版)

出口王仁三郎」の記事における「出口なおとの出会い」の解説

多芸多趣味喜三郎義侠心持った賑やかな人物であり、侠客親分から養子申し込みがあるほど亀岡人気博した。だが父の死喧嘩負傷した事、祖母訓戒重なり宗教家への道を歩み出す。1898年明治31年3月1日松岡芙蓉(または「天狗」と名乗ったとも)と名乗る神使伴われて、亀岡市内の霊山高熊山の頂上近く洞窟一週間霊的修行をする。その結果喜三郎救世主としての自覚を持つ。続いて精乳館を弟に譲り静岡県清水稲荷講社で長沢雄楯師事して霊学の修行行ったのち、鎮魂帰神法と審神学伝授される。これによって伯家神道言霊学、修験道といった古神道知識得た長沢喜三郎かかった神を小松命(素戔嗚尊顕現または分霊)と審神した。自信をつけた喜三郎稲荷講社に繋がる「霊学会」を設立会長となり、亀岡北西位置する園部布教をおこなう。周囲からは「喜楽天狗」と呼ばれた1898年明治31年10月8日喜三郎大本開祖出口なお(直)(以下、『なお』と表記)を京都府綾部訪ねる極貧生活を送る無名老婆だったなおは祟り神恐れられた『艮の金神国常立尊)』の神懸かり起こし日清戦争予言病気治療で「綾部金神さん」という評判得ていた。暫定的に金光教傘下活動していたが徐々に方針違い明らかになり、独立希望すると共に自らに懸かった神の正体を審神する者を待っていたのである最初対面では、なおが稲荷講所属喜三郎不信感持ち、また金光教由来信者達も彼を敵視したため、物別れ終わった1899年明治32年7月、なおは神示によって喜三郎こそ待ち人悟り、再び綾部招いた喜三郎はなおに神懸りした「艮の金神」を「国武彦命」(後に日本神話創造神国常立尊判明)と審神し、綾部移住した二人の関係は、神秘的な女性組織的男性コンビ組んで指導を行うアジア的なシャーマニズムの型とされる。ただし、二人太古の夫婦神の分身でありつつ霊的性別逆転現象起こしている点に注目すべき点がある。喜三郎はなおを教主喜三郎会長とする「金明会」を組織するが、園部開いていた「霊学会」もほどなく融合させ、8月に「金明霊学会」を設立し各地支部会合所を設置した現在の大本の「十曜神紋」も綾部藩九鬼家九曜紋家紋引用してこの時に定められた。

※この「出口なおとの出会い」の解説は、「出口王仁三郎」の解説の一部です。
「出口なおとの出会い」を含む「出口王仁三郎」の記事については、「出口王仁三郎」の概要を参照ください。

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